奉仕活動もする、地域に慕われる、ミスターランドロード
ネルソンアンドレールウェイのハリー・バートン氏(ノッティンガム州)
ノッティンガム市内から車で15分ほど行ったところに、キンバリーという町がある。どこを走っても、パブやオフライセンスには「キンバリー・エール」の看板が目に飛び込む。
今なぜこの町を走っているのか。答えは単純だ。
次の章で登場してもらうノッティンガム在住のリチャード夫妻にどこかいい田舎のインはないかと相談したところ、ここを教えてもらったのだ。
なすがまま、縁があるところに行く、という方針の旅行なので、渡りに船とばかりにまっすぐそこへ向かったというわけだ。
メインストリートを少し入った道に、ビール工場「キンバリー・ブリュワリー」の看板がでーんと目に入ってきた。このブリュワリー見学については( )章で触れるとして、ステアリングを握りながら、日本だと、新潟に行ったら「上膳如水」の看板がこんなに出ているかだろうか、などと考えていた。意識して見ているせいかもしれないが、看板が少ないこの国で、同じロゴの看板を頻繁に見る、というのは珍しい経験だ。
僕が泊まったこの「ネルソン・アンド・レールウェイ」は、なんとこのキンバリーブリュワリーの向かい側、というよだれが出てきそうな好立地。リチャードに感謝!
置いてあるエールは、当然キンバリーブリュワリーからのものばかりだった。つまり、タイドハウス。なんか、この町のどこのパブよりも、ここでは新鮮なエールが飲めるような気がする。
1970年、28歳のとき30年間ここを切り盛りしているハリー(58歳)は、
「きっかけは、ひょんなことさ」と語る。
当時、家を売ってしまったので、次に住むところを探していたところ、友人でもあるここの以前のオーナーが転職したがっていることを知った。そのオーナーに「ここをやれば、住むところは保証されるぜ」と勧められ、譲り受けたというわけだ。
その前は、楽器職人、というパブ経営とは全く関係のない職業だった。ただ昔からこのパブの常連だったから愛着があったのだろう。
それにしても28歳とは奇しくも作者と同い年。自分がその立場だったら、新事業に踏み込めただろうか。いくら当時のパブの経営の条件が今より良かったとしても…よほどパブ自体に思い入れがないと、その決断はできないだろうな、などと話を聞きながら思った。
このパブができたのが、300年くらい前だそうだ。記録によると、最初は「ペリカンホテル」という名だった。1805年のトラファルガー海戦後、ネルソン提督をたたえるため「ザ・ロード・ネルソン」と改名された。やがて「レイルウェイホテル」と合併したので、両方の一部ずつをとって「ネルソン・アンド・レイルウェイ」となったそうだ。
イギリスのパブの名の中には、どう見ても関係のなさそうな単語が合わさってできているものをたまに見かける。探してみたら、クラウン・アンド・アンカー(冠と錨)、スター・アンド・ティプシートード(星と千鳥足のヒキガエル)などがあった。(それにしても、「千鳥足のヒキガエル」だけでも、十分意味わかんないけどね)これらはみな、ここと同じように合併などの理由でそうなったのだろう。まあ、「レッドライオン」とか「スタッグズヘッド」など、よくある名前よりも、こういう変な名前の方が覚えてもらいやすいかもね。
ハリーがここを引き継いだ当初は第( )章で述べたようなややこしい免許制度はなかったので、ほとんど何もなく、酒類を販売できたという。
「始めた当時は一パイント2シリング(20ペンス)だったよ。今の10分の一だね」
ビールの値段だけではなく、ビール業界の状況、顧客のニーズ、オフライセンスの出現、とすべてがこの30年で変わった。
はじめはパブ経営だけだったが、あとからB&Bと食事もするようになった。以前のマネージャーは、B&Bはやっていなかったそうだ。
「旅行者も増えたし、外食する人も多くなってきたからね」
現在、ジュークボックスもあり、若者も気軽に来て、騒いでいく。地元の老若男女が集う。合計14人ものスタッフを抱えている。
もし、パブの営業時間延長が実現したら、ここはどうするのか、と聞くと、
「ここの地元の人にとっては、それは必要ないだろうね、きっと。だから延長はしないと思うよ」
自分自身もここで育ち、ずっとこの地にいるからこそのランドロードにしかできない観察眼を彼は持っている。
ハリーはまた、地元の「乳母車押し大会」や「風船上げ大会」を主催し、その収益金を赤十字に寄付もしている。3ヶ月前には10万ポンド(1700万円! ウッソー!?)を寄付し、地元紙にも大きく取り上げられた。
さすがに長い間やっていると、このパブで出会ったカップルが結婚し、その子供とともにやってくる、なんてことはざらにある。まさに地元の人たちみんなの「オヤジ」なのだ。
そんなハリー自身は、独身。後継者はいるのかな、とちょっと心配になる。でもきっと、彼が前のマネージャーから引き継いだように、このパブを守ろうとする人が現れるに違いない。
ランドロードはつらいよ
さて、僕は運良くここに一泊することができた。一階の「PRIVATE」の扉を開け、階段を上ると、もう普通のB&Bそのものだった。大小合わせて客室が6室くらいあり、バスルームは共同。僕の部屋は12畳くらいの広々としたダブルルームで、ソファまで置いてある。これで22ポンド(約3700円)といううれしい値段だ。
ここは全体的に値段が抑え目で、食事も安かった。昔からいるオヤジと、リーズナブルな値段の食事。そしてお気に入りの地ビール。僕がこの辺に住んでいたら、絶対に通ってしまう店だ。
彼から話を聞いたその夜、別の場所に行っていた僕は夜の十二時近くに戻ってきた。入口のドアをあけると、カウンターの周りだけ電気がついていて、ホントの常連客っぽい人たちが、6,7人いて、和気あいあいと飲んでいた。(もちろん、違法の時間帯なのだが)
「おかえり」とハリーに声をかけられて、「おやすみ」と上に上がろうとすると、「一杯飲んでいくかい?」と誘ってくれた。
喜んで輪の中に入ると、みな50は過ぎた人ばかりで、ちょうどゴルフの話題で盛り上がっているようだった。ハリーが「彼はエールが好きなんだって」と僕を紹介してくれ、僕はどうして今回イギリスに来たのかを説明する。
みな、堰を切ったように「ノッテンガムのここのパブは最高だから行ってみな」とか「隣町のどこそこのパブがいい」など教えてくれた。そして「キンバリーエールは最高だよ。イギリスで一番おいしいエールだ」と言っていた。地元に誇りが持てるってなんだかいいな。
翌朝、10時に下に下りていくと、ハリーは、もう働いていた。黒板のメニューを書き換えたり、仕入れをチェックしたり…昨夜何時まで彼らに付き合ったか知らないが…ランドロードはつらいよ。
ハリーは、隣のビール工場に電話をしてくれたり、僕の今日からの宿も見つけてくれたり、コピーを貸してくれたり、とこの珍客にすごく気を使ってくれた。ビールのポスターまでお土産に持たせてくれた。
コピーを置いてあったは、ハリーの部屋だった。2Fの一番奥の部屋だ。映画に良く出てくるような大学の教授の書斎という感じだった。ここで一人で30年も寝泊りしているのか…昨夜のような、楽しい仲間に囲まれていたら、寂しくなんかないだろうな。でもときには仕事を投げ出して、どこか遠くに行ってしまいたくなるときもあるに違いない。お願いだからハリー、あんまり無理しないでね。
帰りに、外壁の「ハリー、30周年、おめでとう!」の垂れ幕(地元の人からだろう)を目にしながら、イギリスの残りの滞在期間に、こんなパブをひとつでも多く見つけて帰りたいな、と思った。
The Nelson & Railway Inn
Station Road,Kimberley,Nottingham
0115-938-2177
Harry Burton
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