アイリッシュのローカル・パブ訪問

パブの聖地・ボリス村

 

ガイドブックがない!

 

 どうせなら、典型的な田舎のパブに行ってみたかった。日本でも、昔ながらのものは田舎に残されている。だからここでも、旅行者が誰も行かないような小さな村に行けば、きっと「アイリッシュ・パブの原点」が見られるに違いない。

 僕がアイルランドに渡って、始めにしたことは、ダブリンの本屋でパブガイドを探すことだった。ところが、イギリスと違って、「パブのガイドブック」と呼べるものが一切ない。田舎のパブを文章だけで紹介したもの、本当に伝統的なパブだけを小冊子で紹介したものなどは、1軒に一冊くらいあるのだが、いわゆる「パブ専用のガイドブック」と呼べるものが全くないのである。メインストリートのオコンネル通りのイーソンズ、トリニティカレッジの裏手のイーソンズ、そしてとあるショッピングセンターの中の大きな本屋など、「このへんで一番大きな本屋は?」人に聞きながら、街中の大手の本屋を探し回った。店員にも聞いたが、「ここに置いてあるだけだ」の答えのみ。

 どうやって、古いパブを捜せばいいのだろう。途方にくれたまま、手元の「テイルズ・フロム・カントリー・パブ」をもう1度見る。これには、二つのアイリシュパブが紹介さているが、カーロー地方、という地名しか分からないので、行きようがない。

 ダブリン滞在3日目に、ツーリストインフォメーションへ行き、「田舎で泊まれる古いパブはないか」と聞いてみると、そのおばちゃんは、「アイルランドでは、そういうのは一般的じゃないから、多分うちでは登録してないと思うよ」と面倒くさそうに、コンピューターで検索する。

 やはりそういうパブはなかった。僕は苦笑いしながらおばちゃんに、「なんでアイルランドにはパブガイドがないのか」と聞いてみると、見事な答え。「みんな飲むのは好きだけど、モノを書くとかそういう緻密なことは苦手なのよ」なるほど、そんなもんかね。

 なーんて、納得している場合じゃない。「何とか、探す方法ない?」となおも食い下がり、僕は日本から古いパブを訪ねるために、わざわざここへきたのだ、と少しばかり大げさに話すと、のんきなおばちゃんも、こいつはマジだ、と思ったらしい。「この小冊子に載っているところに電話してみたら?」と一冊の小冊子を指し示した。Irish Pubs Of Distinction(優良アイリッシュパブ)というもので、B&Bがあるところを中心に、結構値段が張るところから安いところまで、全国のさまざまなパブが紹介されていた。数はせいぜい50軒くらいと、そんなに多くないが、それがこの国ではじめて目にするまともなパブガイドブックだった。結構広告でまかなっているようで、たった1ポンド!(約140円)

 さて、あとたった3日しかない。失敗はできない。無難にカーロー方面を目指そうと思った。現地に行けば、「テールズ」に紹介されていたパブにも行けるかもしれない。そう思い、カーロー地方のページをめくると…たった一つしか紹介されていない!

「ここがダメだったら、予約なしで行くしかないな」

 そう覚悟を決めて、電話をすると、意外にも、3日間まるまる取れるという。しかも電話に出たその男性は、そこの行き方まで丁寧に教えてくれて、けっこう感じがいい。

 やった! そこが古いパブだったら、ずっとそこにいてもいいな。

 

 翌日、ダブリン・ヒューストン駅で窓口に並んだ。

「バグナルズタウンまで」

「え?」

 何度も聞き返されたのは、一つには、僕が目指すその駅はゲーリックの「Muine Bheag」

という名の方が一般的だったのと、(アイルランドの地名は、イングリッシュ、ゲーリック両方あることが多い)めったに人が行かない場所だったからだ。

 そんなとこ、本当に行くの?  窓口のねーちゃんは、明らかに含み笑いをしながら切符を渡した。

 へん、いいだよ。ほっとけよ。

 前夜もホステルの同部屋のヨーロッパ人たちと話をしたが、アイルランドのリピーターである彼らは、ゴールウェイとかキラーニーとかの風光明媚なところをしきりに勧めた。僕が「キルケニー方面に行くつもりだ」(バグナルズタウン、と言っても知らないだろうから)と言うと、信じられない! といった様子で、考え直すように何度も言ってきた。なんか、観光地だと、ダブリンのように観光地化されているパブも混じっていて、「本物」との選別が大変なような気がし、僕は彼らの助言を適当にあしらっておいた。

「目的が違えば、行き先も違うよ。観光地に行かなくても別にいいじゃないか」

 そうつぶやきながら、ダブリンの町並みが通り過ぎていくのを車窓から見る。

 アイルランドの田園風景は、イギリスのそれとそう変わらなかった。芝生が広がり、牧羊地や農地が広がっている。山がないのも同じだ。

 ルンルン気分で(死語?)イーソンズで買ったたった一冊しかなかった本「アイリッシュパブ」というハードカバーの小冊子を眺めた。これはガイドブックとまではいかないが、古いパブが50軒ほど写真とコメントで簡単に紹介されている。

「およ?」

 よく読むと…カーロー地方のパブが1軒だけ、紹介されている。そこがなんと、これから僕が行くところではないか!! なーんだ、よかったじゃん。(っていうか、買ってからすぐ目を通してみろ、って感じ?)写真で見る限り、白い壁に古い柱、といういかにもヴィレッジ・パブという作り。なんか、3日間、ここにいることになりそうだな。

 乗客も少なかったが、その「バグナルズタウン」の駅に降り立ったのは、僕を含めて4人だけ。車掌が一人しかいない、がらんとした駅だ。ホームに足をつけたとき、「静かなる男」のジョン・ウェインになった気持ちだった。ああ、なんか俺って単純。

 「久しぶりにふるさとに帰ってきたぜ」なーんて気分に浸っているうちに、3人の乗客は、迎えの人の車にそれぞれさっさと乗りこみ、いなくなっている。いつの間に、車掌もどこかに消えている。残ったのは、僕一人。お、おーい、誰かー。

 

ここにもいたやり手オーナー・ジェイムズ

 「えー? なんで?」

 違うホテルに来たのかな、と思うくらい、そのホテル「ロード・バグナルズ・イン」は写真と違っていた。壁はピンクで建物は新しい。

 フロントのにいちゃんも、くそ重たいトランクを持つのをいやがった。部屋に入ると、スラックスのアイロンまでついている、けっこうしっかりしたファシリティーの広い部屋。僕の失望はますます深くなる。

「いっそここをキャンセルして、その辺を捜してみようか」

 だが、駅から10分ほどタクシーを飛ばしてみて分かったのが、この当たりは馬車の時代に細々と発展して、鉄道はあとからできました、みたいな小さな村が点在している、本当の田舎だ。いわゆる観光地ではないので、宿は期待できない。

 ともかくもここの人に、「古いパブ」を聞いて、そこに明日移るしかない、とあきらめ、下に下りていった。

 1階は、一応「パブ風の作り」にはなっているが、イギリスのホテル兼ファミリーパブとそうは変わらない。それでも、なんか面白いものないかなーとうろうろしていると、オーナーのジェイムズ・キーホー氏が話しかけてきた。

 彼が、昨日電話を取ってくれたとのこと。僕は無事に着いた例を言い、この辺で古いパブを捜しているんだけど…と尋ねた。

 彼は、パブ情報に関しては、うってつけの人だった。家族がずっとこの界隈でパブリカンをしていたこともあり、この辺のパブ事情に詳しい。

 彼が真っ先に進めてくれたのが、ボリスという場所の「オシェー」だ。

 ん? ボリス? オシェー? 

 ちょっと待って、と僕は「テイルズ」を取り出した。

「それってここのこと?」 

 なんと、そのパブは、この本で紹介されている!

「そうだよ。へー、こんな本で紹介されているんだ」

 今まで分からなかったことが、一気に分かった。3つのそのパブの場所、そのボリスという場所には古いパブが多くて有名なこと、1つのパブ「オズボーン」のランドレディは、高齢のため、亡くなったらしいこと。(これは誤った情報というのが後で分かるのだが)

 ジェイムズは、もう夕方で忙しい時間帯であるにもかかわらず、汗をふきふき、この辺のパブについてさらに紹介してくれた。

 聞くと、彼のキーホー(Kehoe)という姓は、パブのランドロードに多く、またこの地方に多いという。そういえば、ダブリンにも同じ名のパブが、グラフトン通りのすぐ近くにあったっけ。

 彼は親の代からここを受け継いだが、大々的に改築して、部屋数も多くし、事業を広げていると言う。「大きなビジネスの方が、やりがいがあるからね」イギリスでも多く会った「やり手ランドロード」だ。

 「このあたりが古いパブだった」と1階の一角を指して説明してくれた。暖炉や柱だけは残したという。「アイリッシュパブ」に載っている写真は改築前のものだそうだ。

 

パブ内のコミュニティ

 これで、明日いよいよボリスに行ける! うきうきして、近くのオールドレイリンという、さらに古い村までタクシーを飛ばす。ジェイムズにそこの古いパブを教えてもらったからだ。

 タクシーで、ちょっとしたトラブルがあった。僕はタクシーを呼ぶとき、何も考えずにホテルの中にあった「カーロー観光案内」に載っていたタクシーを呼んだ。ところがその村まで、3マイル(約5キロ)しか離れていないのに、着いたときに、15ポンド(約2100円)よこせと言う。相場は1マイルにつき1ポンドと聞いていたから、僕は飛び上がり、「なんでだよ!」と聞くと、自分はカーローのローカルタクシーで、カーローから呼ばれてきたから、カーローに行くものと思ってきた。ここで君を下ろしても、自分はまたカーローまで戻らなくちゃいけない。会社にはカーローまで乗せたものとしてマージンを払うから、15ポンド必要なのだと言う。僕は、「でも俺は実際には3マイルしか乗ってないし、会社に電話したときに、行き先を告げてあるよ。だから、3ポンド以上は払わない」と頑として言ったが、そうしたら、こっちの持ち出しになってしまうと、向こうも譲らない。10分くらい議論したが、お互い譲らず、結局12ポンド払うことで合意した。向こうが持ち出しにならないぎりぎりのラインなのだろう。

「君は旅行者だから知らなくて、気の毒だったけど、次からはローカルタクシーを呼んだほうがいいよ。あのパブでナンバーを教えてくれるから」

 30代のその比較的若いドライバーは、別に不機嫌にもならず、親切にそう教えて去っていった。このあたりがアイリッシュっぽい。つまり、本当に腹のそこから腹を立てることが少ないこと。一瞬はキレかけても、次の瞬間にはにこやかになる。単純と言うか、切り替えが早いのだ。

 これは、後でだんだん分かったことだが、田舎のタクシーは、登録制を取っていて、客からの呼び出しがあった時点で、地元のドライバーが出向く。だからその地域ごとに「ローカルタクシー」なるナンバーがいくつかあり、利用者は、出発地か到着地どちらかのタクシーを呼ぶことになる。

 気を取り直して、その古いパブ「カーリーズ」を眺めた。30坪くらいの建物のうち、10坪くらいが店舗になっているようで、奇妙なのは、どこにも看板が出ていないことだった。

 中に入ると、5坪くらいのこじんまりしたバーで、2,3人の地元客と、年老いたオーナーが静かにちびりちびりとやっていた。みなじろりとこちらを見る。一歩入ってから、自分が場違いで、奇妙な訪問者だ、という事に気づいた。

 スミズウィクスを飲みながら、僕がここに来た経緯をオーナーと客に話すと、みな例外なく喜んで、打ち解けてきた。俺らの写真を撮れ、明日ホッケーの大会があるから一緒に見にいかないか、日本はどんなところだ、暑いか、寒いか、おごるよ、次、何飲む? そして、僕がさっきのタクシーの話をすると、「それは高すぎる! 12ポンドなんて! 気の毒だなあ」としきりにみな繰り返す。とくに、泥酔状態の70くらいのじいさんは巻き煙草をくわえながら、灰を飛び散らせて、まくしたてる。そのうち、そのじいさんは、家族の写真とか、パブに飾ってある古い写真を指差し、「これが俺のオヤジでさ…」と長話を始めた。

 僕はここで、ダブリンで通訳を頼んだアイリッシュのデーンが話していたことを思い出した。

    *

 アイルランドの田舎は、話題がないので、パブでの会話も単調だ。

「今日、あそこに牛がいたよ」

「へえ、そうか」(1日目の会話)

 「今日、あそこの牛が寝ていたよ」

「へえ、そうか」(2日目の会話)

 「今日、あそこの牛が草を食べていたよ」

「な、なにー? じゃ、見に行こう!」(3日目の会話)

    *

 これはどんなに田舎に何もないかを示すアイロニーだろうが、そのとき僕はそのことを思い出していた。

 バーの中は、ホッケーのチームの写真や、昔のそのパブの写真などが飾られているのみで、他にはとりたてて装飾もない。ただの四角い箱という感じ。オーナーに聞くと、奥の部屋もかつてはバーとして使っていたが、今は混んでいるとき以外は開けないという。

だからハンドポンプは奥のバーにあるみたいで、注文のたびに奥に注ぎにいっていた。

 このパブで3時間以上過ごしたが、一つ面白いことを発見した。

 誰かが来て、誰かが帰るという人の動きがあるたびに、バー内の会話が変わる、ということである。もっと言えば、会話の主導権を握る人が変わる。たいてい年長者がしゃべるときは、みな、その人に耳を傾ける。

 僕はそこで、在日のアイリッシュの友達が話していたことを思い出していた。彼の故郷のダンドークのローカル・パブでのこと。100人くらいの客ががやがやと話していたとき、一人の常連の老人が、片隅で歌い出した。みな、だんだんと話をやめていく。しまいには、誰一人しゃべることなく、その老人の歌に耳を傾けたという。

 その他、いろんな人から聞いた話を統合すると、アイルランドの、しかもローカルパブに限って言えば、そこはただの「酒を飲む場所」ではなく、ひとつのコミュニティができあがる場所なのだ。日本の田舎の居酒屋にもそういう所はたくさんあるが、全部が全部そうではない。

 

「パブの聖地」にたどりつく!

 翌朝、ボリスまでは10マイルくらい離れているというのに、ジェイムズは「ついでがあるから」と彼のベンツでわざわざ送ってくれた。そのついでというのは、彼の家から家族を連れてくる、ということで、郊外の彼の家の前まで行った。見ると、ゲートがリモコンで開くような大邸宅だ。さすがオーナー! 「パブには住まないの?」と聞くと、「職場と家は離れてなくちゃね」とのこと。モダンなパブリカンなのだ。

 さて、ジェイムズにお礼を言い、ボリス村に降り立つ。「オーシェ」に入り、この辺のB&Bを尋ねると、「明日は、結婚式が2つもあるから、どこもいっぱいだよ」という。こんなことはめったにないらしいが…。郊外のB&Bを教えてもらった。

 さて、まる2日間、その村にいた。ここから動きたくなかった。 

 なぜかと言うと、そこにはメインストリートにパブが5軒も並んでいるからだ。イギリスの同規模の村(人口1000人以下)だと、1,2軒しかないのに。しかも、すべて、100年以上の古いパブときている。

 

 ここで改めてボリスの紹介をしよう。

 アイルランド南東部、レンスター地方、カーロー州。バックパッカーたちの強い味方、「ロンリープラネット・アイルランド編」によると、ハイキングコース・ドライブコースで知られるレインスター山の西方に位置する、ハイクの拠点の村。かつてはレンスター王の邸宅があったところで、今でもその子孫が住んでいる。

 歩いて5分でメインストリートを歩ききってしまう。西から東へ少しゆるやかな坂になっていて、西(上方)からはいると、すぐにそのマナーハウスの入口があり、ここはアポイントや紹介がないと、入れない。僕は運良くタクシーの運ちゃんのはからいで入ることができた。その向かい側が1軒目のパブ「コーディーズ」。そこはB&Bもやっている。10件分ほど下ると、2軒目のB&B。となりに小さなポストオフィスとガソリンスタンドがあり、その隣が「オーシェ」。テイクアウェイの店を挟んで、パブ「ジョイスズ」。その向かい側が市民会館。ジョイスズから小道を一本はさんでパブ「カバナーズ」。肉屋、花屋、と続き、肉屋の向かい側が、村で唯一のレストランと兼業のパブ「グリーンデュレイク」そして、花屋の斜め向かいが、5軒目のパブ「ダルトンズ」。その下に教会があり、さらに東は学校やゴルフコースがある。(図を入れる)

 

アイリッシュパブの原点、ここにあり

まず、一つ一つのパブを簡単に紹介しよう。

コーディーズ

 誰に聞いても、ここがこの村で一番古いパブと言っていた。1800年創業で、15年くらい前まではグローサリー(雑貨屋)もやっていた。キルケニーにスーパーマーケットができて、人々がそこでまとめ買いをするようになったので、やめてしまったのとのこと。

B&Bもやっている。

オーシェ

 オーナーのミッシェルはまだ30手前くらいの若者で、父が亡くなったので、姉妹で引き継いだという。パブのほかに、生鮮食品から乾電池まで、なんでもあるコンビニみたいな雑貨、ペンキなどのDIY用品が置いてあるほか、鍵修繕までしていた。この村で一番広いパブで、家族連れが目だった。

ジョイスズ

 ドアを入ると、6畳くらいの手前の部屋が雑貨屋、さらにドアを開いてバー、その奥がラウンジ風の部屋。ビリヤードなどもあり、若者が多かった。

カバナーズ

 角に位置するので、パブと雑貨屋の入口も2つに分かれている。

ダルトンズ

 ただの駄菓子屋といった雰囲気で、この村で一番素朴なパブ。入ってすぐの蛍光灯で照らされた10坪ほどの部屋の手前の棚には雑貨やアイスが置いてあり、奥がビールを飲むカウンターになっている。ラウンジバーもあるにはあるが、グループ客のみ、そこに入る。

 

 

 

  さて、「ダルトンズ」でもう20年以上もビールを注いでいる、ジム・ダルトンに話を聞いた。にこにこした気のいい50がらみのおっちゃんだった。彼のひいおじいちゃんがここを始めたので、彼は4代目ということになる。他のパブは、雑貨屋としっかり区切られていることが多いけど、ここはなぜ昔のままなの? ときくと、「別に理由なんてないよ。もともとそうだったからさ」という答え。家族経営なので、奥さんも、20歳くらいの息子もバーマンとして手伝っていた。僕は、一番、気になることをジムに聞く。

「もし、息子が継がないって言ったら、どうする?」

 ジムは快活に笑いながら、

「どうもしないよ。誰も継がなければ、ライセンスを売って、ここが違う店になるだけさ」

 僕はてっきり日本の「医者一家」のように、継がなくてはならない風潮があるのかと思っていた。これはジムだけではなく、他のところでもそうだったが、世襲というのにそんなにこだわっていない人も多い。パブリカンを、いろんな仕事があるうちの一つ、と考えているようで、この仕事を神聖視して、一家で世襲していこうとする考え方の人は、予想よりははるかに少なかった。これも時代の流れ、というやつなのだろうか。

 でも僕は確信する。もし彼がこの店を閉じることになったら、住民の反対は並々ならぬものであるだろうと。

 

 ボリス村の5軒のパブで、さまざまなアイリッシュと語り合った。

 若者、老人、おばちゃん。日本の話、アイルランドお国自慢、ビールの話。どれも忘れがたい思い出なのだが、一つだけ紹介しよう。

 ダルトンズのラウンジ・バーに入ると、40代の10数名のグループが宴もたけなわ、という感じだった。僕が入っていくなり、「何か歌え」という。僕はまだけっこうしらふだったので、躊躇していると、おじさんが代わりに歌ってくれた。曲名は知らないが、アイルランド映画で耳にしたことのあるメロディーだ。みな指を鳴らしたり、拍手をしたりして、リズムをとる。それが終わったら、「さあ、君の番だよ」と言われたので、ここで引き下がったら、男がすたる、としばし考え、サザンオールスターズの「真夏の果実」を歌った。グレイとかの激しい曲だとみんなびっくりするだろうから。ちょっと恥ずかしかったが、みながリズムを取ってくれるので、気分がいい。どんなカラオケのBGMよりも、人間が作り出してくれるリズムの方が心地よい、という事を初めて知った。

「すごい、うまいじゃん」「歌詞、どんな意味なの?」歌を披露したことで、彼らも、ぐっと親近感を増してくれたようだ。その日のそれ以降の勘定は、不要だった。

 

 ボリス村には、たった2日間いただけなのに、みんなに顔を覚えられた。「昨夜、あの店にいたでしょう」「今日、あそこ歩いていたでしょう」そりゃ、目立つよね。旅行者、ましてや東洋人などめったに来ない村だ。「日本人に会ったのは初めてだ」とあちこちで言われた。

 なんか、アイルランドに故郷ができた気分。ここを去るときは、「またいつか絶対に来よう。そのときに5つのパブのうち、いったいどれくらいが名前が変わっているのだろう。

」と心配になった。

 

(写真)

5つすべてのパブ、ボリス村の風景 など

 

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