ギネスビールとは
日本では珍しい、よく知られているギネスビール。最近樽入りの生のものが飲めるようになったほど普及しているのは、ギネス社の好戦略のおかげだ。その成功の理由を探ってみた。

●内容:「スタウト」と言えば、ギネス/ギネス社の始まり/ギネス成功の2つのカギ/世界150カ国で飲まれている/ギネス工場訪問記/日本のギネス、アイリッシュパブ/CAMRAの嫉妬




■「スタウト」と言えば、ギネス■
 イギリス、アイルランドに限らず、世界各国のどのパブにも必ず置いてあるビールといえばギネスビールである。これがなくてはパブは開けないと言われているほど、根強いファンは多い。
 独特の濃い琥珀色、苦味、強いホップの香り、そしてクリーミーな泡立ち…最近は、日本でも生のギネスビールを飲める店も増えてきているので、ファンになった人も多いことだろう。
 ギネスビールをビールのスタイルであらわすと、ラガー、エール、の2タイプのうち、エールタイプの一形態で、「スタウト」もっと言えば「ドライ・スタウト」に属する(スィートスタウトというスタイルもある)。
 正確には「ギネス・スタウト」と言うが、スタウトタイプのビールと言ったら、普通はこのビールを指すほど、スタウトビールの中で最も世界的に知られているし、シェアも飛びぬけて多い。
 醸造方法は上面発酵で、その点では大筋はエールビールと変わりないのだが、エールビールは、麦芽を焙煎するのに対し、ギネスは麦芽にする前の大麦を焙煎している点が大きく違う。ケグ処理をされ、窒素と二酸化炭素の混合ガスを加えることで、よりきめ細かい泡とともに味わう。
 現在、世界で150カ国以上で飲む事ができ、50ヶ国で醸造されているこのビール。なぜ、ギネスビールは世界にこれだけ普及しているのか。もちろん「おいしい」という要因が第一だろうが、他にも何か要因があるのではないか。それを、ギネス社の歴史やアイリッシュパブとの関連から考えてみた。 
■ギネス社の始まり■
 アーサー・ギネス氏は、もともとダブリンの郊外の5000坪大の工場を、エール醸造工場として創業したが、やがてポーターの醸造へと移行していった。ポーターはロンドン・ポーターとも言い、コベントガーデンなどの運搬人夫(ポーター)たちに人気があったことから名付けられたビールのスタイルだ。焙煎された麦芽の風味とホップの風味のバランスがとれた、銅色に近い黒色のビールである。
 当時は麦芽に税金がかかったので、それへの対策として、やがて彼は大麦を発芽させずにそのまま焙煎するという手法を用い始めた。これが予想外のヒットとなり、ロンドンを中心に爆発的な人気を博した。
 もっともこのあたりのギネスビールの発祥については、醸造に失敗したビールをやむなく出荷したら、たまたまヒットしたという説もあり、今となっては真意は分からない。ともかくも彼はもともとの醸造所の16倍もの約8万坪の地の借地権を得て、ギネス・ビールの大量生産にのりだした。1759年のことである。

 折りも折り、イギリスからの独立の機運が高まっていたころだ。アーサーがギネスを生み出し、イギリスを始め世界の人々に飲ませる事ができたのも、ひとえに「アイルランドらしいビール」でイギリスを見返してやりたいという強い熱望に支えられていたからだ。

 ギネスのラベルに印刷されているハープのイラストは、アイルランドの国章だ。アーサー・ギネスが自分のビールに国の紋章をつけたときの気持ちは、きっとそれまで影響を受けていたイギリスのビール文化からの決別を決意していたに違いない。そんなことを考えると、ギネスの味の力強さをいっそう感じる。 
 それからの約240年の間に、ギネスビールはロンドンを拠点として、世界で今最も飲まれているビールの一つとして普及した。とくにガラスの瓶の製造技術が向上した19世紀からは、遠距離輸送が可能となり、『大英帝国』の恩恵にあずかり、インド、カリブ海、アフリカ大陸など、輸出先が一気に拡大された。

 また、1845〜49年にかけて再三アイルランドを襲った「ポテト飢饉」によって、さらにギネスは広まった。どういうことかというと、農民を中心に、半分くらいの国民が、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドといった英語圏の国々に移住したわけだが、彼らはギネスを携えていた。1883年、ギネス社は、世界一の規模のビール会社に成長していたが、これは、いかに国外でのニーズが多かったかを示している。国内は人口半減なのに、ここまで移民たちに輸出されていたのだ。1913年に、たくさんのアイルランド人たちをのせて沈んだタイタニック号には、大量のギネスも積まれていたそうだ。(以上、この段落「GUINNESS アイルランドが産んだ黒いビール」小学館102、103ページあたりを参照した)

 これはギネスビールヒットの偶発的な要因だが、会社として主体的に取り組んだ戦略の特徴としては、以下の二つ
があげられる。
▲有名なオームのキャラクター

■ギネス成功の2つのカギ■

 一つは広報活動に力を入れたことである。有名なあのオームのキャラクターや、「Guinness is good for you」を始めとするさまざまなキャッチコピー、そしてテレビコマーシャルを駆使した。特に、一時期、若者のギネスビール離れが進んだときに、ギネスビールを中高年だけでなく、若者にもおしゃれな飲み物として定着させる広報活動をしてきた。
たとえば、1990年代前半、ギネス社はギネス・エクストラ・コールドGuinness Extra Coldという、2,3度(通常のギネスより2,3度低い温度)で飲む商品も開発した。今や、これもすっかり定着し、少なくとも作者が見た限りでは、アイルランド国内のどこのパブに行ってもたいてい置いてある。通常のギネスは5〜8℃で飲むが、それでは若者がラガービールに求めている「喉ごし」が物足りないのだ。












 もう一つは、ギネスビールそのものだけでなく、「アイリッシュパブ」を「箱ごと」輸出する、という最近の考え方である。

  先の1870年までの移民に続き、さらに1960年代に、ヨーロッパやアメリカなどへの移民が再度多くなったときに、その地にアイリッシュパブができ、盛況を博していた。ギネス社はその理由についての意識調査を行い、その成功の原因が、飲み物だけではなく、室内の装飾、食事、サービス、音楽など、飲み物以外の他の要素にあるということをつきとめた。

 家具会社であるマクナリー社が国内のアイリッシュパブを調査し、カントリーコテージパブなどの5つのタイプに分類した。ギネス社はマクナリ―社と提携し、その地のニーズに合わせて5タイプのいずれか、あるいは複数を複合した店舗を作り、そこでギネスビールをサーブする形にした。ビールだけではなく、アイリッシュパブ的な和気あいあいとした雰囲気(ケルト語でクラックcraicという)までも輸出させようとしたのだ。
 1993年には『アイリッシュパブコンセプト』という部門を作り、世界各地のアイリッシュパブを開業したいというオーナーに対し、コンサルティングをしている。この方法が功を奏し、地元のアイリッシュやそういった雰囲気を好む客をつかみ、それからの7年間で、アイルランド以外で50カ国、2000軒ものアイリッシュパブの創業にたずさわった。
 これは『コンセプト』が指導あるいは開業をアレンジした店舗だけの数値なので、単にギネスビールが飲めたり、パブ的な雰囲気を出している店、を含めると、世界中の「アイリッシュパブ」の軒数ははかり知れない。イギリスの地方都市でも、メインストリートに数軒必ず発見するほどだ。

■世界150カ国で飲まれている■
 現在ギネス社では、ドラフトギネス(アルコール度数約4・2%)と、それより度数が強いギネス・エクストラ・スタウト(同約6%)、という主力商品の他に、スミズィクスSmithwicks(海外向けにはキルケニーKilkenny)といったエール(イギリスと違い、いずれもリアルエールではなくケグビアだが)ラガーではハープHarpなどを醸造している他、外国製ラガー(バドワイザーカールズバーグ)の醸造権を買い取り、醸造している。いずれも、アイルランド内のどこのパブを訪ねても、必ず置いてある国民的ブランドばかりである。国内のビールのうち、ギネス社のシェアは、実におよそ50%、スタウトビールだけで言えば90%にものぼる。名実ともにまさに「スタウト」と言えばギネスビールを指すわけだ。確かに私が歩いた限りでも、ギネス以外のスタウトビールを発見するのはまれなことだった。
 現在、ギネスビールが飲める国はアメリカ大陸、ヨーロッパ、アジアなど、世界中にくまなく広がっているが、醸造している国となると、偏りが出てくる。意外なことに、アメリカやアジア(マレーシアを除く)、ヨーロッパの各国では作られていない。ナイジェリアなどのアフリカ諸国やカリブ海近辺の中米諸国、オセアニア諸国に集中している。

 これは、
原料の調達や工場を作りやすい立地条件、税制など法律上の制約、現地でのニーズなどさまざまな要素の結果だろうが、根源的には、大英帝国時代のなごりである。当時イギリスが支配していた植民地で、醸造を始めさせたのだ。

 このことからも、ギネスビールは、イギリス
の国力なしにはここまで普及しなかったことが分かる。イギリスからの決別を期して作られたギネスが、ロンドンで普及し、大英帝国の恩恵にあずかって世界中に普及した、というのは何とも皮肉なことだ。

 ちなみに醸造されるその国によってアルコール度数が違うし、原料が違うので、味が微妙に違う。たとえばアフリカなどの暑い国では本国よりも高い度数で作るという。
 ギネスは、2000年、バーガーキングで有名な米国出資の会社Diageoや、2001年にUDV(United Distillery Vintners)と合併したが、あくまでもビール醸造がメインだ。うまく混合ガスが混ざるような缶(フローティングウィジェットという、缶を開けると窒素が混ざるボールを缶に注入する方法)やボトルを開発したり、スタウトに限らず、エール、ラガーについても新たなブランドを打ち出すべく、開発している。
 こうして、アーサーギネスの開発したギネスビールは、冒頭にも書いた通り、2001年1月現在、世界151カ国で飲まれ、51カ国で醸造される巨大産業に発展した。商品そのものが良かったのと、戦略が良かった、という二つの要素が相乗効果をなした結果である。


▲ダブリンのオコンネル通りを歩き、リフィー側を渡って、
トリニティカレッジ側に行くとき交差点に大きな広告が

 個人的なコラム:できたてのギネスの味は? ギネス工場訪問記
 ダブリンの街中からバスに乗り、リフィー川に沿って西に向かうと、前方にGuinnessの看板が目に飛び込んできた。
 いよいよだ。ごくりと唾を飲みこむ。もちろん喉はすでに、あの黒い液体を欲している。

 以前はダブリン市の門だったというセントジェームズゲートに降りたち、とりあえず、工場の周りを一周する。敷地は5つくらいのブロックに分かれ、それぞれ壁で仕切られているのだが、そのうちの一番大きいブロックを一周して、大きさを実感しようと思ったのだ。10分くらいかかった。ちなみに、工場周りの住宅街は最近ダブリンでも特に治安が悪いとされている地域らしいので、他の人にはオススメできない行動だ。
 本社の受付でPRのジーン・ドイルさんを呼び出してもらう。やがて現れたドイルさんの後に続いて、本社内の廊下を歩き、階段をいくつか上りながら、ここまでの遠かった道のりに思いをはせる。
 アイルランドに行くからには、ギネス工場は行っておきたい。そう思って事前にギネス社について調べてみたが、調べれば調べるほど、このマンモス産業の今までの戦略に感心しないわけにいかなかった。直接いろいろ聞きたい事が出てきて、日本の「ギネス・ジャパン」に依頼し、今日のアレンジをしてもらった。
 何せ、ギネスビールは日本では一パイント1000円位する、私にとっては『命の水』である。最後の1滴まですするような気持ちで、ありがたくおしいただくこの液体は、どういう経緯でできたのか、どういう所で作っているのか、この目で見て、聞いて、確かめてみないと気がすまなかったのだ。
 英国のCAMRAの本部に行ったときもそうだったが、こういった『自分が興味があること』を聞く段になると、瞬間的に英語が流暢になるから不思議である。Toeicの点数で言えば200点くらい上がっている気がする。まあ、そう思っているのは自分だけで、大していつもと変わってはいないのだろうが。
 いくら怪しい英語だからって、わざわざアポをとって、やけに真剣にいろいろ聞いてくるこの東洋人を、とても邪険には出来なかったのだろう、私のつたない質問に、ドイルさんは、次々と明快に回答してくれた。さすがPRの人だ。こうしてほとんど通訳に頼ることなく、1時間くらいの話を終えた。
 心地よい疲れと、充実感の中、敷地内の『ギネス・ホップストア』に向かう。ここはその名の通り、以前はホップを貯蔵しておく建物だったのだが、見学者向けの博物館とした。
 順路は3階からで、ここではギネス社の今までの広報活動の紹介。歴代のテレビコマーシャルやポスターなどが分かるようになっている。2階では、ギネスの醸造方法が、目で見てわかるように、人形や映像も駆使して展示されている。そして1階ではギネスの輸送方法の展示のあと、作りたてのギネスの試飲バー、ショップとなっている。
 …と、たった数行の紹介で終わってしまうことからも分かる通り、「世界のギネス」の博物館のわりには、質、量ともに物足りなかった。
 前出のドイルさんによれば、それから4ヶ月後の2000年12月に、ホップストアに変わる博物館ストアハウスStorehouseがオープンする。ホップストアと同じく、敷地内の倉庫を改築したもので、最上階での展望階ではダブリン市内を360度見下ろしながらギネスビールを味わえるという。ダブリン市内で、ギネスビールが味わえる一番高い所、というのが売りだ。博物館自体も、ホップストアと比べて規模も大きく、内容も充実している。やれやれ、次にダブリンに行ったときはそこに直行しなくちゃ。
 それはさておき、ホップストアの1階で「作りたて」のギネスを受け取り、いよいよグラスにかぶりつく。ノッティンガムのキンバリーエール工場のビールもうまかったし、いろいろな人から、ここで飲むギネスが最高だった! という話を聞いているから、喉はそのつもりでスタンバイしていたのだが、飲んでみると、・・・ほかで飲むギネスビールと変わらなかった。
 これはケグビアだからではないか、と思う。一度殺菌処理をし、発酵を止めてしまっているビールに、同じガスを同じように混合させるわけだから、どこで飲んでも、いつ飲んでも味に違いは出づらい。だからこそ、輸出しやすいのだ。発酵が続いている状態で出荷するリアルエールとは、根本的に違う。
 そう言えば、日本の大手メーカーの工場で飲んだビールも、他で飲むのと変わりなかったな…軽い失望と、妙な納得とともに、ホップストアを後にしたのだった。
 最後に、この訪問をアレンジしてくださったギネスジャパンの坂元さんとクレメンツ氏、現地での通訳をボランティアで買って出てくれたヒロコさんとデーンに乾杯! じゃなかった、深く感謝します。

▲今はもうないHopstore・・・今度は、新しい博物館にいくっきゃない!

最近日本でも普及してきたギネスビール、アイリッシュパブ
 冒頭でも記した通り、今でこそ、日本でも珍しくなくなってきたギネスビール。一体いつ頃からギネスビールは普及しだしたのだろうか。
 ギネスビールの波が、最初に日本にやってきたのは1964年(昭和39年)のことだった。当時のサッポロビールの社長の松山茂助氏がギネスの魅力に引かれ、輸入にふみきった。それからの30年間、1995年(平成7年)に樽が入ってくるまでは瓶という形で飲まれた時代が続いた。
 93年頃からギネス社の海外部門であるギネス・ブリューング・ワールドワイドは本格的なギネスビール普及と、アイリッシュパブの出店のプロジェクトを始めた。アジア地域の本部は、シンガポールだが、日本での活動拠点は東京・虎ノ門の「ギネス・ジャパン」だ。その後、Guinness社はアメリカ資本のDiageo社に買収されたので、日本のギネス支社も「Diageo Japan」となり、六本木に移った(2007年4月追記)。
 前述した通り、アイリッシュパブを5つに分類し、箱ごと輸出しようというプロジェクトだ。
 95年12月、ギネス社出店のアイリッシュパブ第1号として、『ダブリナーズ新宿』がオープンした。「インターナショナル・ソーシャライゼーション」(国際交流)をコンセプトに掲げ、在日外国人だけでなく、駐在や留学を経て国際的な感覚を身につけている人をターゲットとした。これが予想以上の集客だったので、現在までさらに4店出店しているほか、ダブリナーズ以外の出店数は全国で5店にのぼる。このほか、ギネスジャパンの指導のもとに開店したパブは2001年2月現在全国で約30店舗にのぼる。
 そのほか、ケグでギネスを入れている店は260店ほど、ボトルも含む商品を扱っている店も含めるとなんと約1万店舗にものぼる。これには変動があるので概算だが、もはや極東のこの国でも、アイルランドでのパブの数と同じくらいの店で、ギネスビールが味わえるのだ。
 ここまで述べたのは、事実のみだが、ここで私の意見を言わせてもらう。ギネスUVDは、ギネスビールの輸出には大成功を収めたが、「アイリッシュパブ」を箱ごと輸出できた、ということは言いがたいと思う。日本で「アイリッシュパブ」と銘打った店に行くと、調度はテーマパークのようにきれい過ぎて、年季の入った現地のものと同じとは言えないし、現地のパブは地元土着型なのに比べ、日本の店の場合、逆に繁華街への出店が多い。当然客層も雰囲気も役割もまったく本場のパブとは違う。日本でナポリタンスパゲティが、喫茶店で出るあのシロモノに化けたのと同じように、本来、文化の輸出というものは、輸出先のその国の味付けがつきものだし、必要なことである。他国においても、そういったいわば「アイリッシュパブ・テーマパーク」ばかりであると想像する。今度は、ぜひアイルランド以外のアイリッシュパブに行ってみたい。
 一つ、本国でも他国でも、共通していることは、クラックを愛する人が集う、という点である。味わい深いビールをぐびぐびやりながら、年齢も身分も性別も関係なくワイワイやる。まさに「クラッカー」の私としては、日本でも、そんな店が一つでも増えればいい、と願う。
 最後に、一つ気になるのが、日本で、ギネスビールが醸造される日は来るのだろうか、ということだ。先ほどのギネス社のドイルさんとサッポロギネスのギネスビール担当部長の酒見氏にこの問いをぶつけてみると、二人とも同じような回答だった。
 物理的には不可能ではない。原料を輸入し、工場を作り、同じ醸造方法で作れば、本場ものに限りなく近いものはできる。だが、問題はニーズ、つまり消費量がどれだけいくか、である。ビール産業というのは、ある程度の大量生産ができないと採算が取れないからだ。
 このまま日本人にギネスビールが普及し、どこの居酒屋にも置かれるようになるほど消費量が増えれば、何十年後かには醸造されるようになるだろう。果たして私が生きている間に、ギネスビールが醸造され、安く飲めるほど、わが国のビール文化が成熟しているのだろうか。
コラム:CAMRAはギネス社に嫉妬している?
 件の「グッドビアガイド」(CAMRA発行)では、ギネス社の紹介が面白い。巻末に『エールビールを醸造するビール会社リスト』があり、バス社を始め、大手ビール会社の概要や、代表的な銘柄の紹介がしてある。たとえばバス社だったら概要に10行、代表的銘柄を7種、関連会社の概要にさらに14行、といった具合である。
 「ギネス・ロンドン」社の項目を見ると、驚く。
GUINNESS
(住所、電話)
Draught keg and pasteursed bottled stouts only. 
 コメントが、これしかないのだ。しかも『生の樽と殺菌されたボトルのスタウトのみ』という、ひどくネガティブな表現である。
 他社は、『1980年創業で、どこどこと合併して改名し、こんなエールを中心に作っている』としっかり説明されているのに、天下のギネス社に対しては、こんなにひどい仕打ちをしているのだ。
 CAMRAに聞くと、これはやはり彼らのギネスビールに対する蔑視を表しているそうだ。つまりギネス社が作っているビールはどうせ殺菌したニセのエールだ、という蔑視である。なんとも狭い料簡だ。私が思うに、こういった蔑視だけでなく、英国のエールビールと同じく、一度は衰退を遂げたのに、独自のプロモーションで、ここまで盛り返してきたことに対する嫉妬もあるのではないかと思う。保守的で排他的な彼らの考えそうなことである。
 ギネス社とCAMRAの状況は対極にあると思う。ギネス社は、リスクを犯してまで、イメージアップのプロモーションに力を注ぎ、遠距離輸送が可能な技術開発に力を入れた結果、現在の成功を手に入れた。CAMRAは、あくまで英国内でエールビールが飲めればいいという考え方で、それを世界に普及させようとはしていない。第一、殺菌していないビールを輸送すると、振動もあり、あっという間に味が落ちるので、リアル・エールの輸出は不可能なのだ。
 例えるなら、やり手青年実業家と頑固な職人、というわけだ。

※ギネスの日本での販売権は2009年、キリンに移りました。(2009年10月追記)
※ギネスはアジアではマレーシアで作られていますが、シンガポールと台北の店で聞くと、アイルランドからのほうがおいしいのでそちらを使っているとのことでした。(2012年8月追記)

●協力/ギネス・カンパニー、ギネス・ジャパン、サッポロギネス、サッポロライオン各社(順不同)

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