リアルエールを復活させた消費者団体CAMRA
英国のCAMRAのおかげで、今われわれは日本で地ビールが飲める。
この一行の意味が即座に理解できた人は、相当のビール通と言えるが、いずれにせよ、これはまぎれもない真実だ。
CAMRAとはCampaign for real Aleの略で、真のエールビールを復興させる民間の消費者団体である。真のエールビールとは、もちろん樽内熟成において飲む自然発酵のビール、前述の言葉で言えば「カスク・コンディション」のもとにサーブされるエールビールのことだ。
現在では、リアルエールが飲めるパブは9割以上を占めるが、このリアルエール自体が存亡の危機にあったことがある。第二次世界大戦後のイギリスのビール市場、特に1980年代は、大企業のビール会社がますます力をつけ、中小のビール工場を買収併合していった。それらの企業がビール生産の効率化を図り、ケグ・ビアの生産を伸ばし、場合によってはカスクビアは生産中止の憂き目にあっていた。
ところがそこは保守的なイギリス人たちのこと、従来のカスク・ビールの存続を願う消費者運動が、各地で見られるようになった。
そんなおり、マンチェスター周辺に住む4人の若者(うち3人は新聞記者などのジャーナリスト)が、アイルランドでギネスビールを飲んだとき、イギリスでの味と違うことに疑問を持った。そもそもアイルランドギネスはダブリン、イギリスギネスはロンドンでそれぞれ作られており、製造場所は異なるが、材料や工場の環境その他の関係で、味が微妙に違うのは当然だ。きっと彼らの結論はそんなふうに収まったのだろうが、だが、そこはジャーナリスト、それをきっかけにビールの味そのものについて調べるようになる。
そして、イギリス本来のリアルエールの魅力に触れ、当時、それを守るための民間運動
のことを知るにつけ、半ば本気、半ば冗談で「自分たちでやろうじゃないか」と、CAMRAの母体を設立した。1971年のことだ。
運よくメディアで紹介されたこともあり、発足後数週間のうちに、何千人もの人から入会希望の問い合わせがくるほどの好スタートだった。これは消費者たちの危機感がいかに高かったかを示している。これにいちばんびっくりしたのは発起人たちだろう。それに、リアルエール愛好者は高齢者が多いというのに、発起人が若者、という奇妙な取り合わせも面白い。
はじめは大手ビールメーカーたちは、この活動を酔っ払いの戯れ言くらいにしかとらえていなかった。たしかにCAMRA会員たちの、特に急進派の主張は、時に排他的すぎるきらいがあった。
その急進派の主張とは、「カスク・コンディションのビールしか真のエール(リアルエール)と認めない。大手メーカーが大量生産するビールは人工的・化学的ビールだ(彼らはこれをケミカル・ビアと称した)。」というもの。ちなみにCAMRAの発足当時の呼称はsociety for the Presevation of Beers from the Wood(樽内熟成ビールを守る会)だったことからも、彼らのベーシックな主張がうかがえる。(のちにCampaign for the Revitalization of Ale(エール復興の会)と名を変え、1973年に現在の呼称となった。リアル・エールという言葉をより強調させるためだろう。初めは大手メーカーはそれを無視したが、これに賛同する会員が増え、運動自体が過激になっていくおそれがあった。企業のイメージもある。かくして、大手メーカーたちはカスク・ビアの生産を再開せざるを得なくなった。
CAMRAの会員数は1989年までに3万人、2000年現在では5万7千人を超え、イギリスの人口の約1000人に1人がメンバーということになる。日本でこんなに加盟率が高い消費者団体は、ちょっと思いつかない。
運営資金は会費と出版物に頼っており、活動によって営利を得ることはしない。したがって、常勤の職員も少なくセント・オーバンスの本部には14人がいるだけである。代表役員は会員の中から、12名が選挙で選ばれる。(自推、他推は問わない)役員の任期は3年で、毎年、4人ずつ改選される。これらの役員は本部職員たちとともに、各種イベントのプロデュースに関わったりして、専任職員的な役割をする。
ロンドンだけでも15、全英では190もの支部があり、残りの膨大な数の会員は地元の支部を拠点に活動することになる。そして、こういった会員の活動は、すべてボランティアだ。たとえばグレート・ブリテッシュ・ビア・フェステバルで運営を補助する人たちは、ほとんどがこういったCAMRAの会員なのだ。
こうしてCAMRAは世界に名だたるビール評論家、マイケル・ジャクソン氏をして「20世紀において、ヨーロッパで最も成功した消費者運動である」と言わしめるほど、世界的にも認められる運動へと発展した。いまやCAMRAの活動はイギリス国内にとどまらず、ヨーロッパにも及ぶ。EBCU (ヨーロピアン・ビア・コンシューマー・ユニオン)と呼ばれるヨーロッパ圏内の12カ国のビール消費者団体からなるグループにおいて、CAMRAが最大規模である。リーダー的役割を果たしつつ、EUの規制にも働きかけている。
この運動の影響は北米にも渡り、ブルーパブの普及の後押しとなった。アメリカ、カナダで地ビール・クラフトビール文化が成熟する一端を担い、その波が大平洋を超えた島国にも、最近ようやくやってきたのだ。冒頭の1行の意味がお分かりいただけたことだろう。
いつの時代にも、大きく変貌を遂げようとすると、それを引きとめようとする勢力が出てくるものだ。ワープロが普及すると、手書きの良さを主張する人が現れたように。そういう運動も、いつしか時代の波に飲まれてかき消されてしまうことが多い。だが僕はことこのリアルエールに関しては、そうならなくて良かった、と本当に思う。カスク・ビアが無くなるというのは、世界的に貴重な文化を失うことになるのだから。そしてなにより、いま僕たちがカスク・ビアを昔と変わらず飲めるのだから。
CAMRAの主な活動(本部)
●会員向情報誌What's Brewingの発行(月一回)
● パブガイドブック・ビールについての本など各種書籍の発行
● 政府への規制緩和などの働きかけ
● 年1回のグレート・ブリテッシュ・ビアフェステバルの主催
● 定期的なパブ、醸造所関係者とのミーティング
● マーケティングのためのアンケート調査
(支部)
●ローカル・パブガイドの発行
●ローカル・パブフェスティバルの開催
● 閉鎖の危機にあるパブの支援
最近の活動
99年には、「ハッピーパイント」推進運動なるものを遂行した。最近パイントグラスなみなみにつがないパブが増えてきた。正確に言えば、泡の分を除いて液体部分だけで一パイントを注げるグラスを使うパブが少なかった。そこで、消費者の権利の一環としてそういうグラスを普及させ、一パイントなみなみにつがせるというキャンペーンを展開したのだ。
パブ業界サイドルートからと、消費者の啓蒙という両面で行った。
ちなみに、5ミリ液面が低いと、これだけの値段損をすると言うのが測れるカードまで作った。ここまで来るとちょっとこっけいだ。
(カード、キャンペーン時のコースターのPHあり)
パブの営業時間の延長
CAMRAの活動により、早ければ2001年にも、パブの深夜営業を認める法案が通りそうだ。ただ、こうなった場合でも一律に延長するのではなく、延長するかどうかはオーナーの裁量に任される。日本の風営法のように、地域によっても異なる規制となると思われる。ロンドンあたりではオールナイトのパブができるだろうが、地方のローカル・パブでは従来通りのところもあるかもしれない。あるいは週末のみ延長とか。現に地方パブの多くのオーナーたちが「これ以上時間が長引いたら、俺たちの体が持たないよ」と肩をすくめていた。
このほか、地方のローカルパブで人々のパブ離れが進んでいるようなところは、所得税(法人税?)を納めるのも困難になっている。英国の法律では都心から離れた村にある、郵便局や生活必需品を扱う店に対しては税額が半分になる。これを村のパブにも適用するように働きかけているのである。他には酒税法改正運動も行っている。
また支部会員の活動で、英国においては毎週末2,3ヶ所でビア・フェスティバルが開かれる。各支部で月に一回会合が行われ(会員なら誰でも参加できる)、活動方針が決定される。
CAMRA DATA
本部 230 Hatfield Road,At Albans,Herts,AL1 4LW
Tel:+44-1727-867201 Fax:+44-1727-867670
オフィシャルサイト:http://www.camra.org.uk(ここから入会も可能?)
Eメール:camra@camra.org.uk
会費 年間14ポンド
コラム;CAMRA本部訪問記
その建物は「これが5万人の本部か?」と拍子抜けするほどこじんまりしたものだった。2階建てのレンガ造りの建物。鉄道の駅からは車で10分くらい。と企業の「本社」だったら絶対にありえない場所だ。なれない道のため、約束よりだいぶ遅れて到着したわれわれを、PRマネージャーのイアン・ロー氏は温かく迎えてくれた。
「やっと会えましたね」
お互い交わすこの言葉の重みは、僕とイアンの二人だけにしか分からない。
さかのぼれば1年前、パブの取材に行くと決めてから、カムラのホームページを探し当て、夢中で、協力依頼のメールを打った。最後に「グレート・ブリテッシュ・ビア・フェスティバル、まだ行ったことがないので、ぜひ行きたいです」
彼の返事は、あたたかく、ていねいだった。「イベントで会えるといいね、ぜひ来てください」
それからの1年間、僕と彼のやりとりは続いた。基本的なパブの概要、オススメのパブ、などの情報を、どんどん提供してくれた。取材時期はまよわずイベントのある8月初旬を絡めることにする。「イベントに行く前に、カムラの活動について、詳しく聞きに行きたいのですが」「もちろん、いいですよ。いつにしますか?」
やっと会えたイアン氏は、僕のたどたどしい質問にも熱心に耳を傾け、カムラの歴史や活動について、熱っぽく話してくれた。通訳をしてもらう暇もないほどだった。イアンの個人的な考えも聞いた。
「チェーン店なんかは、学生をターゲットにしているけど、商業目的を持ったり、ターゲットを絞ったりすること自体が本来のパブのあり方と違うよ」
「ラガーになれている日本人にあえてエールタイプのビールを勧めるとしたら、やっぱりペールエールタイプだね。ホップのよく効いたHop back社のSummer Lightningあたりがおすすめかな。モルティなものはきっと口に合わないと思うよ」
話のあと、社内を案内してもらうことにする。1階は受付と会員を管理するセクションでスタッフが3人、2階には、その他のセクションで5,6人のスタッフがいた。パソコンと資料に埋もれた雑然としたオフィス、という点では一見一般企業と変わらないが、明らかに違うのは働いている人たちの活気だ。そのときはフェスティバル前だったこともあり、みな忙しそうに動き回っていたが、僕たちを邪魔者扱いもせず、何かのリストを指差し「これは何?」などガキんちょのような質問をする僕にも、ていねいに応対してくれた。最低限の収入で、自分の好きなことをやっている、そんな泥臭いさわやかさをそこにいる人は持っていた。僕たちが通されたのは、おそらく理事会などをやるための会議室で、歴代の会長の写真が飾られていたり、プレゼン用なのだろう、バーカウンターが据えられていた。
イアンとイベントで会うことを約束し、そこを後にしたときは、そこにいるのがすっかり居心地が良くなっていた。
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