十字軍ゆかりの、「イギリス一古い」パブ、「ジ・オールド・トリップ・トゥ・イェルサレム」(ノッティンガム市)
「われこそはイギリス一古いパブだ」そう宣言しているところは多数あるが、ここもその一つ。場所がノッテインガム城、という分かりやすいところなので、読者の方にとってはイギリスの地方都市の中では、最も行きやすく、行く価値のあるパブだろう。僕もそう思って、訪れることにした。
僕はノッティンガムには旅行で生徒を引率しながら来たことがある。そのときは、城を出てすぐのロビン・フッドの像の前で、みなで記念撮影をしたのを覚えている。
そのパブは、なんとその場所から歩いて2分もかからないところにあった。城の出口を出て、右にずっと坂を降りていく。例の像を右手に見ながら、坂を下りきると、右手が「ジ・オールド・トリップ・トゥ・イェルサレム」だ。
「なんだ、こんなところにあったのか」
まああのときは仕事だったから、もし知っていたとしてもここで一杯やるなんて事はできなかったけどね。
ちなみに、この辺をBrewhouse yard と呼ぶのは、かつてはここがブリュワリーだったからだそうだ。このパブのとなりに「Brewhouse Yard Museum」なるのがあるので、てっきりそのブリュワリーに関する展示かと思ったら、ただのノッティンガムの住民の生活に関する展示なのでご注意を。
さて、このパブの外見は、ちょっと古めのパブ、という感じで、白い外装は比較的新しいようにも見える。変わっていることと言えば、城を取り囲む城壁に接して建っていることくらいである。
「うーん、意外と普通のところかも」
そう思いながら店内に入り、中を一周しているうちに、この第一印象はとんでもない早とちりだったと知ることになる。
外から見える白い建物は、パブの部屋ではなく、パブの外のガーデンやトイレなどの付属設備であり、メインは、さらに奥、つまり城壁の中に広がっていたのだ。
建物右手の入り口を入ると、すぐ左にラウンジがあり、さらに進むとガーデンへと通じる。そこをさらに左に折れると、もう一つラウンジがあるが、ここまでは割と普通の古いパブ。左ではなくて、正面の小さな階段を上ると…
「うわ、すげえ、なんだこりゃ」
洞窟の中にそのままいるような部屋が二つある。白い壁が、丸く部屋を覆っていて、上には当時からのものの通気孔。
特に一番奥の部屋は「ミュージアム・ルーム」とされていて、十字軍を描いた絵などが展示されている。もちろん、普通に飲食してOKだ。
そう、ここは十字軍ゆかりのパブなのだ。第三回十字軍のとき、リチャード一世が英国軍を引き連れたわけだが、その途中、兵士たちがここノッティンガムに立ち寄って、作戦を練ったり、休憩をしたらしい。それが1189年のことなので、このパブも「1189年創業」となっている。
そういった歴史的な背景があるせいか、パブの客は、国外、国内からの観光客が多いそうだ。だが、もちろんノッティンガムの地元の人も来る。
マネージャーのダニエルに、セラーを案内してもらった。彼はまだ若く、20在後半といったところ。マネージャーになって三ヶ月。ちなみにここは「キンバリー・エール」のタイドハウスである。セラーは、他のパブのように地下ではなく、入口を入ってすぐを右に行った「スタッフオンリー」の扉の向こう側にあった。
予想通り、そこは洞窟の部分。細長い部屋が4つあり、それが一つの廊下で結ばれている。どの部屋も、壁沿いの下から30センチくらいの所が、長いすのようにせりあがっている。聞くと、かつては、ここがパブで、十字軍はここで飲んでいたリ、闘犬が行れたという。この部分は彼らが座った椅子というわけだ。
イギリスで訪ねた他のパブの中にも、セラーに、このように椅子のような盛り上がりがあったところがあった。しかもそれらは一様に古いパブだった。そういうセラーは、ひょっとしたら、やはりもとはパブだったのではないだろうか。
聖地を奪回するために、各地から立ちあがった義勇軍たち。飲みながら話す、彼らの熱意ある討論が、今にも聞こえてきそうだ。
ところで、ダニエルによると、ここでは火災報知機が突然壊れたり、ビールをサーブするガスが、突然なんの理由もなく使えなくなったりそうだ。
「十字軍の幽霊じゃないかと思っているんだけど」
彼は肩をすくめる。
さて、このあと、タウンセンターのパブにも行ってみたのだが、そこで話をした4人の地元の若者たちは、ここがお気に入りだと言っていた。やはりあの独特の洞窟がいいのだと言う。
「そうだろそうだろ。俺も同じだよ」
われわれは、「オールド・トリップ」話で盛り上がったのだった。
Ye Olde Trip To Jerusalem
1 Brewhouse Yard
Castel Road
Nottingham
0115-9473171
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