ギネスビールとは
イギリス、アイルランドに限らず、世界各国のどのパブにも必ず置いてあるビールとい
えばギネスビールである。これがなくてはパブは開けないと言われているほど、根強い
ファンは多い。
独特の濃い琥珀色、苦味、強いホップの香り、そしてクリーミーな泡立ち…最近は、日
本でも生のギネスビールを飲める店も増えてきているので、ファンになった人も多いこと
だろう。
ギネスビールをビールのスタイルであらわすと、ラガー、エール、の2タイプのうち、
エールタイプの一形態で、「スタウト」もっと言えば「ドライ・スタウト」に属する(スィ
ートスタウトというスタイルもある)。
正確には「ギネス・スタウト」と言うが、スタウトタイプのビールと言ったら、普通は
このビールを指すほど、スタウトビールの中で最も世界的に知られているし、シェアも飛
びぬけて多い。
醸造方法は上面発酵で、その点では大筋はエールビールと変わりないのだが、エールビ
ールは、麦芽を焙煎するのに対し、ギネスは麦芽にする前の大麦を焙煎している点が大き
く違う。また、いわゆる「スムースフロー」と同じく、窒素と二酸化炭素の混合ガスを加
えることで、よりきめ細かい泡とともに味わう。
現在、世界で150カ国以上で飲む事ができ、50ヶ国で醸造されているこのビール。なぜ、
ギネスビールは世界にこれだけ普及しているのか。もちろん「おいしい」という要因が第一
だろうが、他にも何か要因があるのではないか。それを、ギネス社の歴史やアイリッシュ
パブとの関連から考えてみた。
ギネス社の歴史と今
アーサー・ギネス氏は、もともとダブリンの郊外の5000坪大の工場を、エール醸造工場
として創業したが、やがてポーターの醸造へと移行していった。ポーターはロンドン・ポ
ーターとも言い、コベントガーデンなどの運搬人夫(ポーター)たちに人気があったこと
から名付けられたビールのスタイルだ。焙煎された麦芽の風味とホップの風味のバランス
がとれた、銅色に近い黒色のビールである。
当時は麦芽に税金がかかったので、それへの対策として、やがて彼は大麦を発芽させず
にそのまま焙煎するという手法を用い始めた。これが予想外のヒットとなり、ロンドンを
中心に爆発的な人気を博した。
もっともこのあたりのギネスビールの発祥については、醸造に失敗したビールをやむな
く出荷したら、たまたまヒットしたという説もあり、今となっては真意は分からない。と
もかくも彼はもともとの醸造所の16倍もの約8万坪の地の借地権を得て、ギネス・ビール
の大量生産にのりだした。1759年のことである。
それからの約240年の間に、ギネスビールはロンドンを拠点として、世界で今最も飲まれ
ているビールの一つとして普及した。とくにガラスの瓶の製造技術が向上した19世紀からは、
遠距離輸送が可能となり、『大英帝国』の恩恵にあずかり、インド、カリブ海、アフリカ大
陸など、輸出先が一気に拡大された。ギネスビール拡大の戦略については、二つの大きな特
徴がある。
一つは広報活動に力を入れたことである。有名なあのオームのキャラクターや、
「Guinness is good for you」を始めとするさまざまなキャッチコピー、そしてテレビコマ
ーシャルを駆使した。特に、一時期、若者のギネスビール離れが進んだときに、ギネスビー
ルを中高年だけでなく、若者にもおしゃれな飲み物として定着させる広報活動をしてきた。
1990年代前半、ギネス社はギネス・コールドという、2,3度(通常のギネスより2,3度低い
温度)で飲む商品も開発した。今や、これもすっかり定着し、少なくとも作者が見た限りで
は、アイルランド国内のどこのパブに行ってもたいてい置いてある。通常のギネスは5〜8℃
で飲むが、それでは若者がラガービールに求めている「喉ごし」が物足りないのだ。
もう一つは、ギネスビールそのものだけでなく、「アイリッシュパブ」を「箱ごと」輸出
する、という最近の考え方である。1960年代に、ヨーロッパやアメリカなどへ、アイルラン
ド人の移民が多くなったときに、その地にアイリッシュパブができ、盛況を博していた。ギ
ネス社はその理由についての意識調査を行い、その成功の原因が、飲み物だけではなく、室
内の装飾、食事、サービス、音楽など、飲み物以外の他の要素にあるということをつきとめ
た。家具会社であるマクナリー社が国内のアイリッシュパブを調査し、カントリーコテージパ
ブなどの5つのタイプに分類した。ギネス社はマクナリ―社と提携し、その地のニーズに合わせ
て5タイプのいずれか、あるいは複数を複合した店舗を作り、そこでギネスビールをサーブす
る形にした。ビールだけではなく、アイリッシュパブ的な和気あいあいとした雰囲気(ケルト
語でクラックcraicという)までも輸出させようとしたのだ。
1993年には『アイリッシュパブコンセプト』という部門を作り、世界各地のアイリ
ッシュパブを開業したいというオーナーに対し、コンサルティングをしている。この方法
が功を奏し、地元のアイリッシュやそういった雰囲気を好む客をつかみ、それからの7年
間で、アイルランド以外で50カ国、2000軒ものアイリッシュパブの創業にたずさわった。
これは『コンセプト』が指導あるいは開業をアレンジした店舗だけの数値なので、単にギ
ネスビールが飲めたり、パブ的な雰囲気を出している店、を含めると、世界中の「アイリ
ッシュパブ」の件数は計り知れない。(?何軒か分かったら、教えてください)イギリスの
地方都市でも、メインストリートに数軒必ず発見するほどだ。
現在ギネス社では、ドラフトギネス(アルコール度数約4・2%)と、それより度数が強
いギネス・エクストラ・スタウト(同約6%)、という主力商品の他に、スミズィクスやキ
ルケニーといったエール(イギリスと違い、いずれもリアルエールではなくスムースフロー
だが)ラガーではハープなどを醸造している他、外国製ラガー(バドワイザーとカールズバ
ーグ)の醸造権を買い取り、醸造している。いずれも、アイルランド内のどこのパブを訪ね
ても、必ず置いてある国民的ブランドばかりである。国内のビールのうち、ギネス社のシェ
アは、実におよそ50%、スタウトビールだけで言えば90%にものぼる。名実ともにまさに「
スタウト」と言えばギネスビールを指すわけだ。確かに私が歩いた限りでも、ギネス以外の
スタウトビールを発見するのはまれなことだった。
現在、ギネスビールが飲める国はアメリカ大陸、ヨーロッパ、アジアなど、世界中にく
まなく広がっているが、醸造している国となると、偏りが出てくる。意外なことに、アメ
リカやアジア(マレーシアを除く)、ヨーロッパの各国では作られていない。ナイジェリア
などのアフリカ諸国やカリブ海近辺の中米諸国、オセアニア諸国に集中している。これは、
原料の調達や工場を作りやすい立地条件、税制など法律上の制約、現地でのニーズなどさま
ざまな要素の結果だろうが、根源的には、大英帝国時代のなごりである。当時イギリスが支
配していた植民地で、醸造を始めさせたのだ。このことからも、ギネスビールは、イギリス
の国力なしにはここまで普及しなかったことが分かる。
ちなみに醸造されるその国によってアルコール度数が違うし、原料が違うので、味が微妙
に違う。たとえばアフリカなどの暑い国では本国よりも高い度数で作るという。
ギネスは、2000年、バーガーキングで有名な米国出資の会社Diajioや、2001年UDV
(United Distillery Vintners)と合併したが、あくまでもビール醸造がメインだ。うまく
混合ガスが混ざるような缶やボトルを開発したり、スタウトに限らず、エール、ラガーにつ
いても新たなブランドを打ち出すべく、開発している。
こうして、アーサーギネスの開発したギネスビールは、冒頭にも書いた通り、2001年1月
現在、世界151カ国で飲まれ、51カ国で醸造される巨大産業に発展した。商品そのものが
良かったのと、戦略が良かった、という二つの要素が相乗効果をなした結果である。
コラム:できたてのギネスの味は? ギネス工場訪問記
ダブリンの街中からバスに乗り、リフィー川に沿って西に向かうと、前方にGuinness
の看板が目に飛び込んできた。
いよいよだ。ごくりと唾を飲みこむ。もちろん喉はすでに、あの黒い液体を欲している。
以前はダブリン市の門だったというセントジェームズゲートに降りたち、とりあえず、
工場の周りを一周する。敷地は5つくらいのブロックに分かれ、それぞれ壁で仕切られて
いるのだが、そのうちの一番大きいブロックを一周して、大きさを実感しようと思ったの
だ。10分くらいかかった。ちなみに、工場周りの住宅街は最近ダブリンでも特に治安が
悪いとされている地域らしいので、他の人にはオススメできない行動だ。
本社の受付でPRのジーン・ドイルさんを呼び出してもらう。やがて現れたドイルさんの
後に続いて、本社内の廊下を歩き、階段をいくつか上りながら、ここまでの遠かった道の
りに思いをはせる。
アイルランドに行くからには、ギネス工場は行っておきたい。そう思って事前にギネス
社について調べてみたが、調べれば調べるほど、このマンモス産業の今までの戦略に感心
しないわけにいかなかった。直接いろいろ聞きたい事が出てきて、日本の「ギネス・ジャ
パン」に依頼し、今日のアレンジをしてもらった。
何せ、ギネスビールは日本では一パイント1000円位する、私にとっては『命の水』
である。最後の1滴まですするような気持ちで、ありがたくおしいただくこの液体は、どう
いう経緯でできたのか、どういう所で作っているのか、この目で見て、聞いて、確かめて
みないと気がすまなかったのだ。
英国のCAMRAの本部に行ったときもそうだったが、こういった『自分が興味があるこ
と』を聞く段になると、瞬間的に英語が流暢になるから不思議である。Toeicの点数で言え
ば200点くらい上がっている気がする。まあ、そう思っているのは自分だけで、大していつ
もと変わってはいないのだろうが。
いくら怪しい英語だからって、わざわざアポをとって、やけに真剣にいろいろ聞いてく
るこの東洋人を、とても邪険には出来なかったのだろう、私のつたない質問に、ドイルさ
んは、次々と明快に回答してくれた。さすがPRの人だ。こうしてほとんど通訳に頼ること
なく、1時間くらいの話を終えた。
心地よい疲れと、充実感の中、敷地内の『ギネス・ホップストア』に向かう。ここはそ
の名の通り、以前はホップを貯蔵しておく建物だったのだが、見学者向けの博物館とした。
順路は3階からで、ここではギネス社の今までの広報活動の紹介。歴代のテレビコマー
シャルやポスターなどが分かるようになっている。2階では、ギネスの醸造方法が、目で
見てわかるように、人形や映像も駆使して展示されている。そして1階ではギネスの輸送
方法の展示のあと、作りたてのギネスの試飲バー、ショップとなっている。
…と、たった4行の紹介で終わってしまうことからも分かる通り、「世界のギネス」の博
物館のわりには、質、量ともに物足りなかった。
前出のドイルさんによれば、それから4ヶ月後の2000年12月に、ホップストアに変
わる博物館Storehuoseがオープンする。ホップストアと同じく、敷地内の倉庫を改築したも
ので、最上階での展望階ではダブリン市内を360度見下ろしながらギネスビールを味わえる
という。ダブリン市内で、ギネスビールが味わえる一番高い所、というのが売りだ。博物館
自体も、ホップストアと比べて規模も大きく、内容も充実している。やれやれ、次にダブリ
ンに行ったときはそこに直行しなくちゃ。
それはさておき、ホップストアの1階で「作りたて」のギネスを受け取り、いよいよグラ
スにかぶりつく。ノッティンガムのキンバリーエール工場のビールもうまかったし、いろい
ろな人から、ここで飲むギネスが最高だった! という話を聞いているから、喉はそのつも
りでスタンバイしていたのだが、飲んでみると、ほかで飲むギネスビールと変わらなかった。
これはケグビアだからではないか、と思う。一度殺菌処理をし、発酵を止めてしまって
いるビールに、同じガスを同じように混合させるわけだから、どこで飲んでも、いつ飲ん
でも味に違いは出づらい。だからこそ、輸出しやすいのだ。発酵が続いている状態で出荷
するリアルエールとは、根本的に違う。
そう言えば、日本の大手メーカーの工場で飲んだビールも、他で飲むのと変わりなかっ
たな…軽い失望と、妙な納得とともに、ホップストアを後にしたのだった。
最後に、この取材をアレンジしてくださったギネスジャパンの坂元さんとクレメンツ氏、
現地での通訳をボランティアで買って出てくれたヒロコさんとデーンに乾杯! じゃなか
った、深く感謝します。
最近日本でも普及してきたギネスビール、アイリッシュパブ
冒頭でも記した通り、今でこそ、日本でも珍しくなくなってきたギネスビール。一体いつ
頃からギネスビールは普及しだしたのだろうか。
ギネスビールの波が、最初に日本にやってきたのは1966年のことだった。当時のサッ
ポロビールの社長の松下茂助氏がギネスの魅力に引かれ、輸入にふみきった。それからの
30年間、瓶という形で飲まれた時代が続いた。
93年頃からギネス社の海外部門であるギネス・ブリューング・ワールドワイドは本格的
なギネスビール普及と、アイリッシュパブの出店のプロジェクトを始めた。アジア地域の
本部は、シンガポールだが、日本での活動拠点は東京・虎ノ門の「ギネス・ジャパン」だ。
前述した通り、アイリッシュパブを5つに分類し、箱ごと輸出しようというプロジェクトだ。
95年12月、ギネス社出店のアイリッシュパブ第1号として、『ダブリナーズ新宿』がオープ
ンした。「インターナショナル・ソーシャライゼーション」(国際交流)をコンセプトに掲げ、
在日外国人だけでなく、駐在や留学を経て国際的な感覚を身につけている人をターゲット
とした。これが予想以上の集客だったので、現在までさらに4店出店しているほか、ダブリ
ナーズ以外の出店数は全国で5店にのぼる。このほか、ギネスジャパンの指導のもとに開店
したパブは2001年2月現在全国で約30店舗にのぼる。
そのほか、ケグでギネスを入れている店は260店ほど、ボトルも含む商品を扱っている店
も含めるとなんと約1万店舗にものぼる。これには変動があるので概算だが、もはや極東の
この国でも、アイルランドでのパブの数と同じくらいの店で、ギネスビールが味わえるのだ。
ここまで述べたのは、事実のみだが、ここで私の意見を言わせてもらう。ギネスUVDは、
ギネスビールの輸出には大成功を収めたが、「アイリッシュパブ」を箱ごと輸出できた、と
いうことは言いがたいと思う。日本で「アイリッシュパブ」と銘打った店に行くと、調度は
テーマパークのようにきれい過ぎて、年季の入った現地のものと同じとは言えないし、現
地のパブは地元土着型なのに比べ、日本の店の場合、逆に繁華街への出店が多い。当然客
層も雰囲気も役割もまったく本場のパブとは違う。日本でナポリタンスパゲティが、喫茶
店で出るあのシロモノに化けたのと同じように、本来、文化の輸出というものは、輸出先
のその国の味付けがつきものだし、必要なことである。他国においても、そういったいわ
ば「アイリッシュパブ・テーマパーク」ばかりであると想像する。今度は、ぜひアイルラ
ンド以外のアイリッシュパブに行ってみたい。
一つ、本国でも他国でも、共通していることは、クラックを愛する人が集う、という点
である。味わい深いビールをぐびぐびやりながら、年齢も身分も性別も関係なくワイワイ
やる。まさに「クラッカー」の私としては、日本でも、そんな店が一つでも増えればいい、
と願う。
最後に、一つ気になるのが、日本で、ギネスビールが醸造される日は来るのだろうか、
ということだ。先ほどのギネス社のドイルさんとサッポロギネスのギネスビール担当部長
の酒見氏にこの問いをぶつけてみると、二人とも同じような回答だった。
物理的には不可能ではない。原料を輸入し、工場を作り、同じ醸造方法で作れば、本場
ものに限りなく近いものはできる。だが、問題はニーズ、つまり消費量がどれだけいくか、
である。ビール産業というのは、ある程度の大量生産ができないと採算が取れないからだ。
このまま日本人にギネスビールが普及し、どこの居酒屋にも置かれるようになるほど消
費量が増えれば、何十年後かには醸造されるようになるだろう。果たして私が生きている
間に、ギネスビールが醸造され、安く飲めるほど、わが国のビール文化が成熟しているの
だろうか。
コラム:CAMRAはギネス社に嫉妬している?
件の「グッドビアガイド」(CAMRA発行)では、ギネス社の紹介が面白い。巻末に『エー
ルビールを醸造するビール会社リスト』があり、バス社を始め、大手ビール会社の概要や、
代表的な銘柄の紹介がしてある。たとえばバス社だったら概要に10行、代表的銘柄を7種、
関連会社の概要にさらに14行、といった具合である。
「ギネス・ロンドン」社の項目を見ると、驚く。
GUINNESS
(住所、電話)
Draught keg and pasteursed bottled stouts only.
コメントが、これしかないのだ。しかも『生の樽と殺菌されたボトルのスタウトのみ』
という、ひどくネガティブな表現である。
他社は、『1980年創業で、どこどこと合併して改名し、こんなエールを中心に作
っている』としっかり説明されているのに、天下のギネス社に対しては、こんなにひどい
仕打ちをしているのだ。
CAMRAに聞くと、これはやはり彼らのギネスビールに対する蔑視を表しているそうだ。
つまりギネス社が作っているビールはどうせ殺菌したニセのエールだ、という蔑視である
なんとも狭い料簡だ。私が思うに、こういった蔑視だけでなく、英国のエールビールと同
じく、一度は衰退を遂げたのに、独自のプロモーションで、ここまで盛り返してきたこと
に対する嫉妬もあるのではないかと思う。保守的で排他的な彼らの考えそうなことである。
ギネス社とCAMRAの状況は対極にあると思う。ギネス社は、リスクを犯してまで、イメー
ジアップのプロモーションに力を注ぎ、遠距離輸送が可能な技術開発に力を入れた結果、
現在の成功を手に入れた。CAMRAは、あくまで英国内でエールビールが飲めればいいとい
う考え方で、それを世界に普及させようとはしていない。第一、殺菌していないビールを
輸送すると、振動もあり、あっという間に味が落ちるので、リアル・エールの輸出は不可
能なのだ。
例えるなら、やり手青年実業家と頑固な職人、というわけだ。
ライオン各社(順不同)
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