[一番下から前に戻れます]
パブ・ビールに関する年表
いろいろな参考文献をもとに、イギリスのパブ・ビール周辺の変遷を表にしてみた。
こんなに紆余曲折があって、現在のパブがあるのかと思うと、すする一口も、
ありがたく思えてくる。産業革命などの社会的背景やジン・パレスなどの
他文化との関連性が興味深い。
参考文献名は一番下に。
年代 |
歴史上の出来事 |
ビール・アルコールに関すること |
パブに関すること 人々の動向 |
前 3000 年 |
|
メソポタミア文明でビール誕生 →エジプトで発展 →ギリシャで広がる (ローマ帝国の拡大、キリスト教の普及に伴って) |
|
43 〜410 年 |
古代ローマ帝国による征服(5 C、6C) |
ローマ人により、イギリスにビールが伝播 |
街道沿いにエールハウスの原型を作る(社) インがつくられ、食事、娯楽、宿泊の3機能を果たす(社) |
|
サクソン人の侵入 |
|
|
597 年 |
|
修道院でビール醸造(世) |
|
700 年前後 |
|
ドイツのボヘミア・ハラタウ・バイエルンでホップを使用( C、玉) |
|
9 C〜11C |
バイキングの侵入 |
|
|
9 C末 |
|
|
エールハウス誕生→ ※はっきりと史料に出てきたのは 11C(社) |
959 年 |
|
|
ウェセックス王エドガー・ザ・ピーサブルが各村 1軒に規制(世)(社 84) |
1066 年〜 |
ノルマン人の侵入 |
このころ、教会や修道院で大量のエールビール(今の 3倍の強さ)が醸造される(手) |
このころ、家庭ではみな主婦が醸造していた |
1188 年 |
|
ヘンリー 2世、初のビール課税→十字軍への資金とした(B) |
|
13C |
|
|
「イン」の中に「タヴァン」誕生 |
13C 以降 |
|
|
「イン」の林立(社) |
1267 年 |
|
ヘンリー3世「パンとビールに関する法令」=パンとビールの価格を穀物の価格と連動させることを定めた法律、その量と質には一定の基準が設けられた(手)
|
|
1338 年〜1453年 |
フランスとの百年戦争
|
大陸から帰ってきた兵士達が、北フランスで飲み慣れたホップ入り飲料を飲みたがった(手) →ホップ入りビールの伝播 →定着まで 2,300年を要す |
|
1397 年 |
|
|
リチャード 2世、旅宿に看板を掲げることを定める→パブ・サインの始まり(コ15) |
14C |
|
酒類検査官誕生(皮のズボンによる検査)〜 1973年まで続く(手)
|
|
14C |
|
イギリス産のエールが「ビール」と呼ばれるようになった(手) |
|
15C 初 |
|
ホップ、オランダ・ベルギーからの移民により伝播(玉) 同時期、ヘンリー 8世がビール醸造にホップを禁ずる |
|
1406 年 |
|
エール醸造組合設立 1473年にはヘンリー6世により、すべての管理権が付与(手) |
|
1493 年
|
|
ビール醸造者がギルド(職人組合)として認められる |
|
1524 年
|
|
ホップ栽培開始(手) |
|
16C 後半 |
エリザベス女王のもと、第 1の黄金時代 |
|
国内旅行盛んに →インの発達(社 107) |
1620 年 |
|
ピルグルム・ファザーズ、ビールがなくなったので、プリマスに寄港 |
|
1642 年 |
ピューリタン革命 |
|
インやエールハウスが活動拠点となった(社 158) |
1645 年 |
|
ホップ入りのエールにも課税(手)→国家歳入の半分がビールによるもの |
|
1649 年 |
名誉革命 |
|
|
1650 年 |
|
|
オックスフォードに初のコーヒーハウス誕生、その後激増する→ 17C末には3000軒(コ50)→雑誌、新聞が置かれ、ジャーナリズムの発展に貢献→18Cには衰退 |
1665 年 |
ペスト流行 |
|
感染を恐れ、パブ、コーヒーハウスへの出入り減少、業絵師当局も営業時間を短縮(コ 55) |
1666 年 |
ロンドン大火 |
|
|
1680 年 |
|
酵母(イースト)がオランダの科学者により発見される( C) |
|
1688 年 |
|
|
「パブ」という語が文献上に最初に現れる(ア) |
1689 年 |
|
海外からの蒸留酒の輸入禁止(国内のジン醸造を奨励)(社 90)
|
|
17C |
|
コーヒーハウス誕生→ 18C全盛期→18C末衰退(玉) |
|
17C 末 |
|
オランダからジンが伝えられ、ロンドン・ジン誕生(社 88) |
|
18C 前半 |
|
ビールが高価なため、ジンが流行→人々の堕落( 1720年後半には凶悪犯罪が急増、衛生事情の悪さもあり、出生者2に対し、死者3という割合)(社91) |
上流階級は私的な場ではビール、公的な場ではシェリーやブランデー、ポルトなどの強い酒を飲んだ |
1722 年 |
|
ポーターが作られ始める( C) |
|
1751 年 |
|
ジン規制法により、ジンへの酒税とライセンス料の制定→ジンブームの終焉(社 92) |
|
1759 年 |
|
アーサーギネス、ダブリンでギネスビール醸造開始 |
|
1760 年代 |
産業革命 |
|
|
18C 〜19C |
|
|
労働者はブラウンエールを引っかけて仕事に出た(社 75) |
18C 中期 |
|
ビール業界発展、バス社など大手ビール業者誕生(手) →海外にも輸出し始める |
ビール会社によるタイドシステム流行(世)( 18C〜19C) |
18 C後半 |
|
|
限られた人々のための集まり、クラブ誕生→19C全盛(コ 81) |
18C 末 |
|
|
労働組合がパブで開催される(社 156) |
18C |
|
|
サミュエル・ジョンソン氏、パブを礼賛 (コ 69) |
1800 年 |
|
インディアンペールエール( IPA)植民地の軍隊のために醸造開始 |
|
1801 年 |
アイルランド併合 |
|
|
1820 〜30年代 |
|
ビールとジンの消費量急増 (産業革命による労働者のストレスの発散)(社 180) |
酒びたりとケンカが横行 |
1830 年 |
|
ビールへの課税廃止 (原料にのみ課税)(手) =ビール酒場法(ビールへの販売規制緩和も)(玉)(社 65)同年、禁酒協会設立(ヴィクトリア女王が後援会長) →全国でデモ運動 |
→ビアハウスの林立 |
1830 年 |
イギリス初の鉄道 |
|
こののち、それまで全盛だった「イン」の衰退 |
1837 年〜1901年 |
ヴィクトリア朝 「大英帝国」の誕生 |
|
上流階級はクラブに →それぞれパブの機能に変わるが専門施設が誕生(社 166)
アフタヌーン・ティー誕生 |
1830 年代 |
|
再びジンブーム(コ 91) |
ヴィクトリアン・パブ(ジン・パレス)の誕生 |
1839 年 |
|
16 歳以下アルコール販売禁止(ただしビールは例外)(ロ)同年、ビール醸造が免許制に |
|
1842 年 |
|
チェコのピルゼンでラガータイプのビール醸造開始( C) |
|
1847 年 |
|
ビール醸造で砂糖の使用が合法に(手) |
|
1862 年 |
|
ホップの課税解除 |
|
1868 年 |
|
|
アイルランドの文献に「パブ」の語登場(ア) |
1873 年〜1896年 |
世界不況のあおりで、経済不況 (コ 100) |
|
|
1886 年 |
|
13 歳以下ビール禁止(ロ) |
|
19C 中
|
|
原料に砂糖を使い始める このころ、ビール醸造所(修道院)各地に設立(手)
|
このころエールハウスのビール、醸造所から取り寄せ始める(それまでは自家醸造)(手) |
19C 後半 |
|
嫌酒運動高まる(玉)
|
|
1880 年
|
|
麦芽の課税解除 → 1188年以降初めて自家醸造が課税の対象から外れる |
|
1880 年代 |
|
冷蔵庫が一般化→一年中醸造されるようになった |
|
1915 年
|
|
酒類の販売に時間制限を求める最初の法律→現行の営業時間はこれに基づいている(玉) |
|
1943 年 |
|
|
ジョージ・オーウェルパブの衰退を嘆く (コ 105) |
1948 年
|
北アイルランドを除くアイルランド、イギリス連邦から脱退 |
|
|
1988 年
|
|
|
パブの営業時間 11:00〜23:00に
|
1995 年
|
|
|
指定パブなら、 14歳以下でも大人の同伴者となら夜9時までいてもOKとなる |
参考文献(略称のあとの数字はページ数)
玉=『ロンドン・旅の雑学ノート』(玉村豊男・新潮社)
手=『手造りビール事始』(平出龍太郎・雄鶏社)
世=『ビール世界史紀行』(村上満・東洋経済新報社)
ロ=『ロンドン・パブ物語』(石原孝哉・市川仁・丸善ライブラリー)
社=『パブ・大英帝国の社交場』(小林章夫・講談社)
コ=『ロンドン都市物語〜パブとコーヒーハウス』(小林章夫・河出書房新社)
C=CAMRAの資料「
About Beer」ア=『アイルランド・パブ紀行』(田島久雄・東京書籍)
BLRA(
Brewers&Lisensed Retailers Association)の公式ホームページ
作者のためのメモ
イギリスの「中世」の定義=ローマ人が引き上げた
5世紀くらいから、15C末まで(コ11)前に戻る