小さな村の、みんなのおばあちゃん
「オズボーン」のマリー・オズボーン
(アイルランド・カーロー)
マリーの経営しているパブ「オズボーン」を知ったのは、「テールズ・フロム・カントリー・パブ」で見たのがきっかけだ。場所はダブリンの南東、キルケニー方面の小さな村、Rathanna(地元の人はラハーナ、と発音していた)という所。70歳を超えているのに女一人で気丈にパブを切り盛りしている様子を知り、彼女と話せば、古いアイリッシュパブの何たるかが分かるような気がしていた。
ところが、行く前に、ちょっとしたことがあった。
彼女はもう亡くなっている、といううわさを耳にしたのだ。
その出所は、後から述べる、ラハーナにほど近い村・バグナルズタウンで、パブとホテルを経営しているジェームズが、「彼女はもう亡くなったって聞いたけど」と言っていたからだ。この辺一帯のパブ事情に詳しい彼が言うことだから、間違いないのだろうと、残念だけど、あきらめざるを得なかった。
バグナルズタウンからボリス村に行き、パブめぐりをしていたときのこと。とあるパブで、その「テールズ・フロム・カントリー・パブ」の本を広げ、「オズボーン」のページを開き、「でも彼女はもういないんだってね」というと、「まだいる」と教えられた。本当にパブの原型という感じで、古いスタイルを崩していないと言う。
ラハーナはボリスからたった6キロくらいの距離。こりゃ行くっきゃない、というわけで、タクシーに飛び乗った。
ラハーナは、ブラックステアー丘陵がすぐ目の前に望める、人口100人以下ではないか、と思えるような、小さな小さな村だった。ちなみに高さたった800mのこの丘陵でも、アイルランドで2番目に高いらしい。メインストリート(と言うより、その村には、道らしきものが一本しかない! その道沿いに家が何軒かばらばら建っているだけの村だ)の真中に教会があり、そのすぐ向かい側がオズボーンだった。
ところが重大問題発生。
入り口に大きなシェパードがデン! と目をぎらぎらさせて座っている。
僕は犬が大の苦手。小さなころ野犬に追いたてられたことがあり、それ以来、よく慣れた飼い犬でも道ですれ違うときは、最長距離を置くようにしている。だからイギリス・アイルランドでの取材は、そういう意味では難関続きだった。パブをうろうろしている犬、庭をかけまわる犬、「お、いい被写体だ」などとは逆立ちしても思うわけがなく、ヤツラとはなるべく関わらないように、最大限の距離を置いていた。
後から述べるボリスのマナーハウスでも、犬に追いかけられて、優雅な気分に浸るどころじゃなかった。どうやって敷地内から脱出しようか、とばかり考え、さながらオリに閉じ込められたねずみのようだった。
話がそれたが、そんなわけで、そのシェパードを見ただけで、オズボーンに入るのをあきらめようか…とまで思った。
すると、運転手のおばちゃんが、オズボーンの隣人の若者に声をかけてくれて、
「この人と一緒に入れば、大丈夫よ」
本当か? 半信半疑で、その10代と思しき若者に連れられて、抜き足差し足、入り口を通る(ああ、情けない…)。すると、不思議と犬はほえないし、警戒しない。何だ、こいつ単純だな…とやっとゆったりした気持ちになって(ほんとは単純なのではなく、それだけ頭がいいんだけどね)、店内を見渡すと、マリーがいた!
白髪のやせたおばあちゃんで、足元は多少おぼつかないが、言葉もしっかりしているし、こちらの言っていることもちゃんと分かる。
僕が「テイルズ〜」を取りだし、「これを見て、ここに来たんだ」と言うと、うれしそうに
「おや、まあ! アメリカ人が尋ねてきたことがあるけどね。この本、日本でも売っているの?」
僕はアマゾンの通信販売について、説明した。
「へー? そうなの? そのうち、象も買えるようになるのかね」
ちょっとお茶目なおばあちゃんだ。
さて、店内をあらためて見渡すと、15畳くらいの、天井が低い部屋に、コの字型にカウンターが据えられ、左右の棚には雑貨が、正面にはリキュール類が10本くらい置いてある。カウンターにはバドワイザーやギネスの空き缶が数本置きっぱなしになっている。右側のカウンターは、今は使っていないらしく、椅子が逆さになって置かれていた。何も知らずにここに入ってきたら、廃業寸前の雑貨屋、といった風情だ。僕の想像とはかけ離れていたので、正直言って戸惑った。ボリス村では、「昔ながらのスタイル」と聞いてきたので、トラディショナルな家具とかであふれているのだろうな、と勝手に思っていたのだ。
「あれ?」
何かが足りない、と感じた。そうか! ハンドポンプだ。今までパブ、と名のつくところには必ずあったハンドポンプが見当たらない。
「うちはドラフトビールはやってないのよ。開業以来ずっと。温度管理とか、清掃が大変だもの」
聞くと、ここには、ちゃんとした炊事場がない、と言う。この建物は、もとは雑貨屋だけだったからだ。だから、缶やボトルでしかビールは出さない。
マリーに、ここをどれくらいやっているの? と聞くと、
「もう8年かな、私一人ではね」
もともと彼女の両親が買ったパブだった。両親の死後、兄と二人で経営していたが、その兄も8年前に亡くなり、それ以来、ずっと一人でここを切り盛りしているという。兄は歌がうまく、アコーディオンの調律もできた。アイルランドでは、歌がうまかったり、名にか楽器ができる、というので、その人の価値が結構きまる。
すごい! のひとことに尽きる。ランドレディたって、ただビールを出せばいいってもんじゃない。酒類と雑貨の仕入れ、帳簿、掃除、すべてやらなくてはならないのだ。
「いろいろと大変だったけどね、まあ、なんとかやってるわよ」
一人で経営してから、今まで計三回の泥棒に入られたという。たとえば、あるときなどは、マリーが寝覚めてみると、15歳の少年が部屋にいて、枕もとのハンドバックを奪って逃げていった。マリーは、追いかけようとした拍子に転び、頭を打ったそうだ。全く、シェパードはなにやってたんだろ、そのとき。
兄がいるころ、煙草の吸殻が原因で、火事になりかけたこともある。
「ペトロール(ガソリン)に燃え移らなくて、本当に良かったわよ、あの時は」
そう、ここでは、ずっとガソリンも売られている。一番近いペトロールステーションはここから5マイル離れているので、ライバルもいず、なかなかいい収益になっていると言う。話をしている最中も、ガソリンを入れにきた若者がいて、マリーは、外に出ていって、「おやおや、元気かい?」とその若者としゃべりながら、給油してやっていた。
他に何か売っていたことある? と聞くと、30年くらい前は、魚、ベーコン、豚の頭などの生鮮物も扱っていた。34エーカーの土地で、養豚をやっていたこともあるそうだ。
もう夕方だったので、話を聞いているうちにだんだんと暗くなってきた。店内写真を撮りたいので、電気をつけてくれないか、と頼み、写真を撮る。突然の訪問だったので、マリーの写真を撮らせてもらえなかったのが残念だ。さすがやはり女性なのだ。
「昔は、ろうそくやランプを使っていたのよ。私はランプの方が好きだったね。明るくなるのに時間はかかるけど、冬なんか、暖房がわりにもなったし。電気は確かに便利だけど、囲炉裏で湯を沸かしたときのあのなんとも言えない匂いが忘れられないね」
朝10時から深夜12時まで、毎日休まず開ける。クリスマスのときだけは、遠くの村の友人を訪ねるために一年に一度閉店する。大晦日には30人以上の人が集まり、一緒に年を越していく。
いやな客もいたという。
「これはずっと前のことだけど、当時はウィスキーはガロンかボトル単位でしか売っていなかったのに、ある男が、金がないからポットでくれと言ってきた。でも断ったわよ。一人にそれをやったら、みんなにやらなくてはいけないもの。そしたら、同じ男が、数ヶ月後、今度は10箱単位でしか売らないタバコを、10本だけくれ、と言うの。また断ると、じゃあ10箱買うから、ツケにしてくれ、と言ってきた」
気丈なマリーは、それでも断って、他をあたれ、と言ったそうだ。また、金を貸してくれ、と頼んできた人を、うちは金貸しじゃないのよ! と追い返したという。
「お金を貸したり、ツケにしたり、っていうのは、本当によく知っている数人に対してしかやらないわ。今でも何人かそういう人がいるけど、彼らは週単位でちゃんと払ってくれるわよ」
上品なしゃべり方をするマリーだが、このようにけじめをつけるときはつける、という凛としたところもあるからこそ、ここまでやってこれたのだと思う。
「もう、常連さんも、アメリカとかに渡ってしまったり、死んでしまったりして、この村もずいぶん寂しくなったわ」
独身で、身寄りのないマリー。従姉妹などの親戚がいるが、今のところ、ここを受け継げそうな人はいない。
小さな村を見守りつづけてきたマリー・オズボーン。もしここがなくなってしまったら、今僕が聞いたような昔話を、誰がしてやれるのだろうか。
T.OSBORNE
RATHANA
CARLOW
IRELAND
Marie Osborne
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