The Chafford Arms (Kent,UK)

有名パブにはそれなりの理由があるものです。ギネスブックにも載った英国でも話題のパブを訪問しました。人気の秘密は、家族が代々ランドロードだったというバリーの人となりにあるようです。
▲つたがからむ外壁
 
■現地でも有名なパブにいよいよ到着!■
  風光明媚な村が多い事で知られる、ケント州のタンブリッジ・ウェルズTunbridge Wells。タウンセンターこそ、普通の町だが、ちょっと離れると豊かな田園風景が広がっている。

 ケント州と言えば、英国でも数少ないホップの産地。ビールとの縁も深い。
 トンブリッジ・ウェルズ駅からタクシーを捕まえ、運転手に「フォードコムFordcombeのチャフォードアームズって知ってる?」と聞いたら、「よく知っているよ、食べ物がおいしいんだよな、あそこは」という答え。なんだかそれだけでいい予感がしていた。 
 なんと言ってもこれから向かうそこは、「テイルズ・フロム・カントリーパブ」「グッドビアガイド」「グッドパブガイド」すべてに掲載されている。

 今までの経験上、現地のガイドブックや本に紹介されているパブは、みなそれぞれそれなりの理由がある。
 10分くらい走ると、古いヴィクトリアンの建物が見えてきた。「テイルズ・〜」の写真どおり! なんだかそれだけで感激してしまい、運ちゃんにチップを渡すのも忘れ、店に駆け込む。
 どうやら、正面からではなく、パブリック・バーから入ってしまったみたいで、その部屋はこじんまりしている。カウンターに立っているその男がランドロードのバリーだとすぐに分かった。バリーには一ヶ月ほど前から日本からもイギリスからも何度も電話して、今日訪問する旨は伝えてある。硬く握った握手は温かく、彼の心からの歓迎の意が伝わってくる。
 「パブ道」に従い、手始めにバリーに「一番軽いエールを」と言うと、ラーキンズLarkin'sという地元ブリュワリーのトラディショナルエールTraditional Aleをおごってくれた。アルコール度数3・4%なので、乾いたのどにすんなりと入ってくる。

■自分のパブの店名には愛着がある■
 店内を一通り見渡し、外の看板のそばに行くと、彼は堰を切ったように話し始める。
「この屋号の由来については、ずいぶんと調べたんだ。アームズ(紋章)というくらいだから、昔チャフォードという領主がいたんだろうと思ったんだが、文献をいくら探しても見つからない。そのうちに、橋の側の地名だったということが分かってね。客の一人がChaffordのChaは、川に横たわっている、という意味の古語だと教えてくれたのがきっかけさ。Fordは浅瀬、だから、浅瀬に横たわっているもの、つまり橋のことで、そういう橋と、その名がついた地名が、このあたりだったということが分かってきた。それが分かるのに25年もかかったよ」
 要するに、昔の地名にもとずいてついた名前らしい。ただでさえ歴史を大事にする彼ら、それが自分がついだパブとなると、愛着もひとしおなのだろう。
 ところでここのパブリック・バーとラウンジは、外を回るか、真中を通っている廊下を通じてしか行き来できない、という昔ながらの作りだ。ラウンジとパブリックハウスのカウンターは、客同士は見えないような構造になっている。典型的な昔ながらのつくりのままなのだ。
 パブリック・バーの方には絵や写真が所狭しと貼ってある。よく見ると、クリケットのチームの集合写真とか、グラウンドを描いたものばかりだ。店のすぐ近くにクリケットグランドがあり、日曜日の試合後にはみんなが飲みに来るという。
 ラウンジ・バーの方は、同じ店内とは思えないほど、装飾の趣が違い、天井からはポットが釣り下がり、銃やビンなどが、細部に渡ってきちんと飾ってある。本当の火をくべる暖炉もあった。建物自体の古さもそうだが、装飾も古さを感じさせる。聞くとやはり先代からの譲り受けも多いという。
■牧師をやめて、パブ経営に転身

 さて、ここにあるもうひとつのエール、チャールズ・ウェルズCharles WellsのボンバディアBombardier Premium Bitterをごちそうになりながら、バリーのこれまでを聞いた。
 1942年に、当時父親が経営していたロンドン南東部のシッドカップのホテルで彼は生まれた。カンタベリーの学校を卒業後、聖職者になるための勉強を始めたが、すぐにそれに幻滅し、父が経営していたケント州のスマーツ・ヒルのパブで働き始める。どうして聖職者にならなかったの? と聞くと、
「罪人を救うのは、お祈りじゃなくて、ビールを注いだ方がいいってことさ」
 といたずらっぽく笑う。聞くと、彼が家族で4代目のランドロードだというから、結局は血は争えないということだろう。
 彼が若干23歳のころ、セラーに禁利品を持っていた近くのパブがライセンスをはく奪されたので、1861年にそれを取得した。当時は、最も若いランドロードとして、なんとギネスブックに載ったという。まあ貴乃花の史上最年少横綱のようなものだろう。要するに彼はランドロードのサラブレッドなわけだ。
 どうして父のパブを継がなかったのだろう?
「決まってるだろ。オヤジと比べられるからさ。そういう風にパブを継いで、苦労しているやつがいっぱいいるぜ」
 なるほど。
 父のパブから数マイル離れたここ「チャフォード・アームズ」は開業以来いろんなオーナーを持ってきたが、彼が開業した当時はウィットブレッド社Whitbreadがオーナーとしてリースをしていた。当初は週に2ポンド、年間でも100ポンドくらいのリース料だったが、今や年間4万ポンド(約700万円! 月に約60万円だ)、実に40倍にもなっている。
 こんなこともあった。ウィットブレッド社が、看板を、御者が荷馬を引いているのではなく、ロバを引いているものに換えようとしたことがある。もう少し見栄えをよくしたかったからだろうか。しかしバリーには、以前の看板に親しみがあったので、地元の新聞に嘆願の広告を出したりして、とうとうウィットブレッド社にそれをあきらめさせてしまった。これは、きっと店自体のいいアピールにもなったことだろう。 
 こういった、彼が古いものを大切にしようとする姿勢は、他の部分でも表れている。ダイニング・ルームの天井に吊り下がるポットのうちのひとつは、代々伝わるヴィクトリアン女王から賜ったものだし、ショヴ・ハ・ペニーの台は、現在は他のところでは木製のものしか見ないのに、昔から代々使われている石の台だ。驚くことにコインは、石にこすれて、模様がすっかり消えて、平らにてかてか光っていた。
 バリーは、他に地域への貢献として、ウォータースキーのチームや、シューティング協会を主宰している。ここから少し離れた、この村の集会所の鍵も預かっているという。集会所の周辺で、必ず開店している店だからだ。隣宅が留守の場合は、郵便物を預かったりもするという。
 もちろん、バリーにとって、パブ経営はいいことばかりだったわけではないだろう。現に酔った客に殴られたことも何度かあるそうだ。でもそのときは、その後、気丈に彼らを追い出したという。さすが生粋のパブリカンだ。
■働き者の奥さんと再婚

 さて、このように地域のパブリカンとして、忙しく動き回るバリーだが、内助の功はどうだったのかな? と、奥さんのアンに聞くと、
「最初は慣れなくて大変だったわ。料理も本を読んでずいぶん勉強したわよ」
 実は彼女は2番目の奥さんで、最初の妻は彼の多忙についていけなかったという。アンはもともとはただの主婦で、バリーと再婚した当初も特に手伝う気はなかった。ところがやはり、生計を立てるためには、自分がキッチンに立たねばならなくなった。
 普通の家庭から、いきなりパブで働いて、しかもパブに住んで、戸惑いはなかった? と聞くと、
「確かに、昼も夜もなく電話をとらなきゃいけないこととか、いやなこともあるけど、いろんな人に出会えるようになった、といういい面もあるわ」
「最初はほんのちょっと手伝うつもりが、気づいたら、18年間やっているわ。ずい分長いほんのちょっと、よね」と笑う。
 アンの家族にはパブリカンがいたわけではないという。バリーと再婚したことで別世界に飛び込まざるを得なくなったわけだが、ここの料理の評判がいいのは、熱心に料理を勉強したアンのお蔭なのだ。バリーにとって、アンとの出会いは貴重だったわけだ。
 料理といえば、ここのメニューは種類が多く、カニ、ドーバー・ソール(舌平目)、マス、スキャンピ、エビなどのシーフードが特に豊富だ。食材は海辺の町・へイスティングスからバリーが直接捕ってくることもあるという。
■後継者問題と病魔■

 バリーの、先代たちを大切にする気持ちと、ここのパブに対する愛着。妻の助け。30年ずっと通っている常連も多いのもうなづける。来てよかった。

 さて、これまで二人三脚でうまくやってきた経営だが、最近ひとつの問題がある。

 言わずと知れた「後継者」だ。
 バリーに子はおらず、アンには息子と娘がいるが、どちらもパブリカンにはならないという。
「でもまあ、気にしないよ。誰もいなくても」
 くったくなくそういうバリーだが、本心はどうなのだろうか。やはり、4代目として守ってきたものを、誰かに託したいと本当は思っているのではなかろうか。
 おまけの話。僕とバリーが話していると、一人の常連が、僕が「グッドビアガイド」を持っているのを見て驚き、自分のものを車から出してきて、自分がおとづれたことのあるパブの話をしだした。スコットランドからウェルズまで、実にたくさんのパブに印がしてあった。イギリス人には、本物のパブを求めて、こうして渡り歩いている人がいるんだな、と思うと、なんだか嬉しくなって「エールビール・フォーエバー」と乾杯した。
 その他、常連客や子どもと話し、楽しい時間を過ごした。今はもう辞めてしまったが、かつてB&Bをやっていたこともあるというから、もしそうだったら、僕は泊まっていたに違いない。
 話はここで終わらない。
 何杯もエールビールをごちそうになっていたら(って俺もずうずうしいね、一回くらい支払えよ、って感じ?)、時間は夜9時を過ぎ、だんだんと暗くなってきた。次の日は早くから予定があったので、もうロンドンに戻らねばならない時間となった。なんと彼は僕を駅まで送ってくれるという。車の中で道々のパブを指差しながら、あそこは5年くらい前にできた、などと解説をしてもらっていると…
「俺は、実はガンなんだよ。去年手術をしたけど、うまくいったかどうかも分からない。でも俺は気にしないね。今が楽しいからそんなことぜんぜん気にしない」
彼はI don't careと何度も言った。僕は…なんでだろ? 涙がぽろぽろ出てきた。
「何で泣いているんだい? 俺が気にしていないから、それでいいんだよ。それより、パブのこと、日本に広めてくれよ、テリー」
 駅についた。バリーは再び僕と固く握手を交わした。僕は,このとき何を言ったのか,覚えていない。たぶん「サンキュー」に気の生えたことくらいしか言えていなかったと思う。バリーは,涙の乾かぬまま無理に笑顔を作っている僕をにこやかに見送ったあと、店の常連だという駅前のホットドック屋のオヤジとおしゃべりを始めた。「どうだい? 調子は?」「まあまあだね…」…
 バリーのその姿を見やりながらも、改札までの僕の足取りはなかなか進まなかった。   
The Chafford Arms
Fordcombe,Kent,Tel 01892-740267
Owner&Manager/Barrie Leppard

「おいしい家庭料理あり」の看板どおり、イギリス南岸からのシーフードが味わえる
ここの古い地名にちなんだ店名
バックガーデンには30人ほど座れる
昔、サイダー(りんご酒)を作った圧搾機。
代々伝わるものをここに移したという。
バリーがいかに代々のものを重んじて
いるかが分かる
バックガーデンにある楡(にれ)の木。
140年間も、このパブを見つづけてきた
右側の入口から入ると,パブリックバー。
座るところは定員20人ほどの
こじんまりした空間。
写真手前のグループのように、
ポーカーに興じる人あり,
テレビを見るものあり、
地元客がみなそれぞれにくつろいでいる.
写真左端はバリーの持つクリケットチームの写真
カウンターの向こうはラウンジ・バーなのだが、
直接見えない。昔からのつくりだ
パブリック・バーにあったショブ・ハ・ペニーの台。
今は木製が多いが,これは古い石製
隣のラウンジ・バー。暖炉や,食事が
できるテーブルがある.天井のジャグ
の中には代々伝わるヴィクトリア女王
から賜ったものもある
ラウンジ・バーの常連客たち
「もちろん、毎週来てるよ」
史上最も若いランドロードとして
ギネスブックにも載った
サラブレッド,バリー。
気さくで,地元の信頼も厚い
そんなバリーを支えてきた妻・アン
「ちょっとパブを手伝うつもりが,もう18年間も!」

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