人種だけでなく、
ビール文化も混ざり合う街
〜個人的な思い入れとともにつづるNY Pub事情〜
アメリカでのパブ、ビール事情は、本当に地域差がハンパじゃなく激しいので、一概には言えない。けれど、NYの局部的な事情なら、ある程度は言ってもいいんじゃないかと思う。すなわち、
アメリカでも有数の、各国のスタイルのビール文化が受け入れられ、かつ移民によりアイリッシュパブが乱立していることで、それがより成熟しているスポットのように思う。(残念ながらアメリカの他の都市にはあまり行ったことがないが)もし何か事実と違うことなどあればぜひご指摘ください。
Contents
1 アメリカ一古いアイリッシュパブ
2 ビール通が集まるリアルエールパブ
3 タイムズスクエアから2分のアイリッシュパブ2軒
街で売っているビール・飲んだビールについてはこちら
2007年8月に、会社の研修旅行でNYを訪れた。9年前、1998年9月に一度来たことがある。1996年4月〜1998年7月の在英日本人学校勤務を終えてから行ったのだが、このときの2週間は、ベスト5には入るprecious
daysだった。
(ちなみに1位:Hastings語学留学2週間 2位:イタリア友人を訪ねる旅1週間 3位:ギリシャ・エジプト遺跡めぐり1週間 ・・・その後くらいかな? どれも96〜98年在英中の旅行だが、これらの旅行記をいつかアップしたい。紙でならあるが、データがないので、どうしよう・・・)
【当時の旅程】
〜1998.8.9 イギリスの学校での任期終了
8.10〜14 パリ(2回目)
8.18〜9.17 ロンドン他に滞在
9.17〜10.21 NY、トロント他
10.21 日本に帰国
このように、任期を終えた後の3ヶ月は、日本直行ではなく、帰国前に見るべきものを見てから帰ってやろうという気持ちだった。NYを選んだのは、はじめは語学をもう少しやりたいという理由だったが、結局学校探しがうまくいかず、とにかく行ってみようという感じで行った。行ってみると観光、他の旅行者との出会い、任期を終えた開放感で、語学どころではなく、「遊学」になってしまった。でも、このときの2週間は、イギリスから日本に自分をシフトさせるための、ちょうどよいワンクッションになったと思う。ここで出会った人たちとは今でも続いている。
そんな理由で、NYは自分にとって特別な街だった。帰国後、教員から出版業界に身を転じ、その後再び教育に携わる仕事に戻った3年目、その会社の研修というひょんな理由でふたたびかの地に降り立つことになった。
自分自身の状況は、9年前と違うことだらけだ。9年前にはなかった、家も家族も会社もある。つまり100%根っこがある状態での、しっかりと往復のチケットを持った旅行。見たいものも違う。9年前は、パブ事情とかビール事情にまだ目覚めていなかったので、何も見てこなかった。今回は、
@アイリッシュパブがどのくらいあるのか Aエールはどのくらい普及していて、うちリアルエールがどのくらいメジャーか を中心に見ようと思った。
・・・とは言っても、所詮は「研修旅行」。回らなければいけない場所が多く、しかも3名での団体行動が義務付けられている。人様のお金で海外に行くときは、自由が100%ないと思ったほうがいい、と
以前のイギリス旅行でも学んでいるので、今回も期待はしないようにしようと思った。
そんな中、他の2名の方の理解により、下記のスポットには行けた。
1 アメリカ一古いアイリッシュパブ
上記@のアイリッシュパブがどのくらいあるか。これはNYの街を1ブロック歩いてみるとよく分かる。オフィスビルしか並んでいないようなミッドタウンでも、1ブロックに1つくらいはアイリッシュパブ風のファサードを持つ店を見かけた。マンハッタンの中に、バーがいくつあるか、そしてそのうちアイリッシュパブが何軒か、かなり興味をそそる疑問だ。歩いた実感からの予想で言うと、バーは見当つかないが、アイリッシュパブは100軒は超えているのではないか。東京だと、「アイリッシュパブ」とカテゴライズされるのはせいぜい50軒だろうから、東京よりは密集していると思う。アイリッシュ系の移民が多いから、当然といえば当然なのだが・・・
【アイルランド移民マメ知識】
19世紀始め、ジャガイモ栽培がアイルランドに急激に広まった。土地がやせていても育てやすいので、資金のない貧しい小作農にはうってつけの品目だった。同時に、彼らの主食ともなっていった。ところが、1845〜49年の4年間、ジャガイモ疫病が発生し、ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間では100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出し、同時に、新天地を求めて、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどへ計200万人以上が移住したといわれる。これでアイルランド国内の人口は半減した。間違いなく「歴史を変えた天災」の一つだ。
【アイリッシュパブ輸出マメ知識】
移民した彼らはギネスを携えていた。(ギネスは1759年から醸造されている)現地の人にギネスの味を教え、工場を作り、あるいは、本国から輸入した。1883年、ギネス社は、世界一の規模のビール会社に成長していたが、これは、いかに国外でのニーズが多かったかを示している。国内は人口半減なのに、ここまで移民たちに輸出されていたのだ。1913年に、たくさんのアイルランド人たちをのせて沈んだタイタニック号には、大量のギネスも積まれていたそうだ。(以上、「GUINNESS アイルランドが産んだ黒いビール」小学館102、103ページあたりを参照した)この「ギネス普及」に伴い、アイルランドの都会、田舎を問わず、地元の人が集まる「パブ」という文化も広まっていったのだと思う。
だから、アメリカにあるアイリッシュパブは、日本にあるそれとは意味がまったく違う。総人口約3億のうち、約4300万人以上(約14%)ものアイルランド人が住んでいるアメリカ。アイリッシュパブは、日本のように「そういう業態が売れるから」という理由ではなく、住民たちのニーズとオーナーの強い思い入れがあって成立している店がほとんどだと思う。僕の知る限り、東京では、アメリカと同じような由来で成立したアイリッシュパブは、六本木の
Paddy Forey'sだけだ。
ところで、この「アメリカ一古いアイリッシュパブ」は、日本のガイドブックに載っていた。「1854年創業の老舗。専用のビール工場を持つ、アメリカで一番古いアイリッシュ・バーだ。」
こんな素敵なインフォメーションを載せてくれているのだから、アイリッシュ・
「バー」となっているのには目をつむろう。
行く前に少し調べてみた。
アイルランドで生まれたJohn McSorleyは、1851年、ジャガイモ飢饉により、ニューヨークに渡ってきて、1854年にこのパブを創業。
その年以来煤払いをせず、たとえば天井のランプにも埃が積もったりして、130年の歴史を物語るニューヨークのランド・マークになっていたそうだ。壁にはアイリッシュ系有名人のポートレイトが掛けられ、リンカーン大統領暗殺の新聞記事が額に入れて飾られている。1992年ごろ140年近く積もった埃と塵を掃除したらしい。その日は全米のTVネットで放送され、「ニューヨークの名物パブ、衛生局の行政指導に屈す」というニュースで、世界中が注目するほどの話題だたとのこと。十数年前まで、女性の入店を認めず女性トイレもなかったがそうだが、今ではもちろん両方トイレがあり、女性客も多い。
参考にさせていただいたページ
・・・というわけで、地下鉄E線Astor Place駅から6,7分ほど歩くと、目立つ緑のファサードとともに現れた。外観だけ見ると、NYの街中で見てきたアイリッシュパブの一つか・・・と通り過ぎてしまうかもしれない。中に入ると、まず下におがくずがいっぱいに撒いてあるのにびっくりする。掃除がしやすからか? それともまた「掃除をしない期間」に突入していて、それをごまかすために撒いてあるとか・・・。
まだ夕方16時くらいの時間だというのに、中には40人くらいいた。入るなり、メガネをかけて、少し神経質そうな顔をした敏腕マネージャー風の男が「ビールはダークか、ライトか」と聞いてくる。「銘柄は?」と聞いても、「銘柄? そんなものはない。ダークかライトの2種類があるだけだ」の1点張りで、どんなビールかとかどこで作っているのかなどと聞いても、とにかく早く注文しろ、てな雰囲気で迫ってくる。仕方がないのでダークを注文すると、2パイント一緒に出てきた。グラスの大きさから言って、あわせてUS1パイントになる。これで5ドル(約600円)。勢いに押されて店の奥でちびちび飲み始めるが、なんか落ち着かない。客が騒がしく、床には理由の分からないおがくずがあり、そして店員はなんかがめつい。彼はポケットの小銭をじゃらじゃら言わせながら、入ってくる客にどんどん、「ダークか、ライトか? 食べ物は?」と注文を聞いて回っている。
こんなことでは
パブ道がすたる、と、グラス片手に店内をぐるぐる歩き回る。店に入って一番奥のトイレの壁が緑一色で、アイリッシュの雰囲気を伝えてくれる。入口入ってすぐのカウンター奥には、装飾だけだろうが、「Real Ale」の文字があった。飲んだダークは、スタウトかポーターだったが、リアルエールではなかったと思う。
カウンターでダベっているオヤジたちに、店のことを聞いてみると、ニューヨークでは、ここのほかにもう1軒、「われこそはアメリカ一古いアイリッシュパブだ」といっているところがあるが、そこの創業年はここより10年ほど後だという。どこにでもそういう「来歴争い」はあるんだな。
客はアイリッシュ系の住民もいるが、近くのニューヨーク大学の学生や、観光客も多いそうだ。
一度に2杯出てくる理由を聞いてみると、パイントグラス1杯で注ぐと、途中、泡が落ち着くのを待たなくてはいけない。ハーフパイント2杯なら一度に注げてしまうから、ということだった。
店の中をさらにぐるぐる回っていると、さっきの「敏腕マネージャー」が近づいてきて、「どうだ、楽しんでいるか」と声をかけてきた。がめつい割には気の利いたこと言うじゃーん、と「ここの歴史が分かるようなリーフレットとかないの?」と聞いてみると、喜んで一枚の紙をどこからか持って来た。1913年10月25日にHarper's
Weeklyという新聞に掲載された記事のコピーだった。なんだ、案外いい人じゃん。「楽しんでくれよ!」と彼はまた入ってきた客のところに注文を取りに行った。
一見すると、観光スポットにありがちな、すれたマネージャーだが、本当は彼もまた、イギリス人とはスタイルが違うが、立派なパブリカンであった。
最後に・・・僕はこんなHPを参考に店を探しました(ほとんどいけなかったですが・・・)あなたも参考にできるようなら、ぜひ。口コミ情報も多い、NYのパブクロール案内です。行ってみたいところばかりです。
NYパブクロール案内(口コミ情報あり)
Home
床のおがくず→
追加情報
この店から歩いて2分くらいのところに、日本食屋がありました。
日本食が恋しくなった人はどうぞ。
「めんくいてェ〜」63 Cooper Sq. Tel 212-228-4152
※しかし、日本語新聞、9年前に比べて増えましたねー。前は「OCSニュース」と個人で出している「Nuts」くらいしかなかった。NYで仕事やるなら日本語新聞くらいかな、といろいろ捜した結果、媒体自体がないことに愕然とした。今は「ニッカンサン」「DAILY SUN」「NYジャピオン」「週刊ビジネスニュース」「踊るで、しかし」「よみタイム」など、硬軟のバラエティも含めいろいろあった。この店にもこれは置いてある。それほど日本人の数も増えたのだろうし、これらの媒体が出せるほど、日本人コミュニティがNY社会に融合してきたということだろう。⇒この後「ニッカンサン」編集にいた人に聞くと、もう22年くらいやっているとのこと。9年前は単に知らなかっただけなのかも。
2 ビール通が集まるリアルエール・パブ
どこを訪ねても、「観光客」向けの顔しか見せてくれないNYで、なかなか「ビール通」に出会うのは至難の業だった。しかも今回は、いわゆる「観光地」を回る研修旅行。到着して24時間は、見た目は華やかだけどひどくよそよそしい顔にしか出会えなかった。風向きが変わってきたのは、2日目の夜、エンパイヤステートビルに昇ったときだ。
9年前に見た夜景とほぼ同じものを見ても、やっぱり感激は同じだった。興奮冷めやらぬまま、1Fのハートランドのバーへ。そこで、NYに来てからほんっっっとに聞きたかったこのことを聞いた。「リアルエールはあるのか」と。
「ここにはないが、Ginger Manにならあるよ」「I see」ここで僕がすぐに納得できたのは、この名前を聞いたことがあったからだ。事前に、NYのパブを回ったことのある人から、このパブの名前は聞いていた。日本で言えば、「Dubliner's」みたいに、観光地にあり、名前も知られている店なのだろう。
あんまりビールには興味がなさそうにない2人にお願いして、この店にも寄らせてもらった。タイムズスクエアから歩いて15分ほどの36Stにある。
↑カウンター横から見た店内。50人以上もの人が、ビールを買うのに一苦労するほど、身動きの取れないこの空間にいた。右側の丸はタップハンドル。「リアルエールって言葉がポピュラーかどうかって?ビール好きなやつなら誰でも知っているだろ?」と店員。日本で言えば、「純米大吟醸」がどういうものか、日本酒好きなら知っている、といった感じか。ちなみに
日本の木内酒造のビールも8種類ほどボトルで置いてあった!
カウンターに群がる飲んべえたちは、なかなか前をあけてくれなかった。(まあ僕はどんなに人が混んでいても、気合ですぐに前に出られるが)イギリスのパブよりも、そのあたりの「暗黙の作法」ができていない気がした。彼らの頭越しにタップハンドルを撮る。17,8本あるように見えるが、メニューにはドラフトビアは40種くらいある。入れ替えにしているのだろうか? 「何飲む? 俺はリアルエールにするけど」「ええ、私もそうするわ」カップルの会話。リアルエールReal
Aleという言葉が普通に使われていることがわかった。またはCask Conditioned
Beerとも言われていた。
3 タイムズスクエアから2分のアイリッシュパブ2軒
この旅行では、ビールスポットではないけど、どうしても行ってみたい場所があった。9年前に泊まったHostelだ。「地球の歩き方」に載っているだけあって日本人が半分くらい泊まっていることもあり、日外問わず、たくさんの友達ができ、その中の何人かとは今でも続いている。こういうホステルに1週間単位で泊まると、Hostelが呼吸しているみたいに、人の入れ替わりが激しいのがよく分かる。
タイムズスクエアのプラネットハリウッドから45St.を入って200mほど進んだ左側にあるBig
Apple Hostelだ。見慣れたその道を歩くと・・・まだあった! 思わずわざわざ受付まで行って「今夜泊まれるか?」などと聞いてしまったが、「もういっぱいだけど、他のHostelを紹介してあげられるわ」という親切ぶりは、あのときとぜんぜん変わっていなかった。
Big Apple Hostel
なんとなく甘酸っぱい気分になってHostelを後にしたが、隣に(Times Squareに戻る途中)、アイリッシュパブが2軒並んでいた。昔は、ここはイタリアンレストランかなんかだったな、と思いつつ入ってみると、2軒ともちょいと高級感ただよう店。遠くからタップハンドルの写真を撮っていると「ちょっとそこのあんた、何のために撮ってるの?」という女性バーマンの声。「い、いや別に、ビールが好きだから・・・などとあいまいに答えて、そそくさと出てきてしまった。
その後、また少し時間ができたので、再び店へ。今度はカウンターに座ると、ポール(男)とジュリアン(女)のバーマンが話しかけてきた。彼らはアイリッシュだそうで、アイルランドのパブが大好きという僕を、心底嬉しそうに歓迎してくれた。ジュリアンが「それならここの写真を撮っていたのも納得できるわね」聞くと、このアイリッシュパブ「the
Connolly's」と、となりのレストラン「the Perfect Pint」は、同じオーナー(アイリッシュ)だという。
↑右端のBig Apple Hostel の左隣がアイリッシュパブ
Connolly's,その左隣がアイリッシュパブ&レストランthe Perfect Pint
↑これが僕がジュリアンに問い詰められたConnollysのタップハンドルの写真。向かって左からGuinness,Blooklyn Lager,Amstel Light,Shera Nevada Pale Ale,Heineken,New
Castel Brown Ale,Wexford Irish Cream Ale(意外とうすい色で、アイルランドでもそんなに知られていないと言っていた。2000年ごろ、どこかの英国フェアでウォーリアケルトが仕入れていた気がする),Sterra
Artoi,Magners(Cider),Bass Pale Ale,Samuel Adams Lager,Killans Irish red(ボトルも飲んだ),Yuengling
Lager,Harp,Smiswicks,Guinness
ギネスは人気だからか、サーブに時間がかかるからか、二つあった。あと、Smiswicksは、輸出されるときは窒素ガスとともにサーブしてKilkennyとなるのに、ここでは二酸化炭素のみのサーブで売られていた。つまり、本場と同じ味のような気がした。イギリスのパブのタップも、このように「異国格闘戦」となるのだが、ここはアイルランドの銘柄が多い分、バラエティに富んでいる。
↑もう1軒、The Perfect Pint のタップハンドル。こちらの店は料理に力を入れているからか、バド系が2つあったりして、ラガーが多かった。
↑シェパーズパイを頼んだが、本場とは程遠い・・・。