パブ・ビールに関する年表(2009/4/26更新)


いろいろな参考文献をもとに、イギリスのパブ・ビール周辺の変遷を表にしてみた。こんなに紆余曲折があって、現在のパブがあるのかと思うと、すする一口も、ありがたく思えてくる。産業革命などの社会的背景やジン・パレスなどの他文化との関連性が興味深い。「歴史上の出来事」と照らし合わせながら見てみてほしい。
※各項目の後の( )内は、参考文献の略称とそのことが記載されているページ数をさす。参考文献名は一番下に。 

年代

歴史上の出来事

ビール・アルコールに関すること

パブに関すること・人々の動向

3000

 

メソポタミア文明でビール誕生→エジプトで発展→ギリシャで広がる(ローマ帝国の拡大、キリスト教の普及に伴って)

 

43410

古代ローマ帝国による征服(5C、6C

ローマ人により、イギリスにビールが伝播

街道沿いにエールハウスの原型を作る(社)

インがつくられ、食事、娯楽、宿泊の3機能を果たす(社)

 

サクソン人の侵入

 

 

597

 

修道院でビール醸造(世)

 

700年前後

 

ドイツのボヘミア・ハラタウ・バイエルンでホップを使用(C、玉)

 

C11C

バイキングの侵入

 

 

C

 

 

エールハウス誕生→

※はっきりと史料に出てきたのは11C(社)

959

 

 

エールハウス、ウェセックス王エドガー・ザ・ピーサブルが各村1に規制(世)(社84

1066年〜

ノルマン人の侵入

このころ、教会修道院で大量のエールビール(今の3倍の強さ)が醸造される(手)

このころ、家庭ではみな主婦が醸造していた

12C

トマスベケットの殉教に伴い、カンタベリー大聖堂への巡礼者が増加(カンタベリー物語は14C

 

巡礼者の休憩所としてインが発達

1188

 

ヘンリー2世、初のビール課税→十字軍への資金とした(B

 

13C

 

 

「イン」の中にタヴァン誕生

13C以降

 

 

「イン」の林立(社)

1267

 

ヘンリー3世「パンとビールに関する法令」=パンとビールの価格を穀物の価格と連動させることを定めた法律、その量と質には一定の基準が設けられた(手) 

 

1292

 

 

 

ロンドンではエール棒に変わって看板が使われていた(パ58

1338年〜1453

フランスとの百年戦争

 

大陸から帰ってきた兵士達が、北フランスで飲み慣れたホップ入り飲料を飲みたがった(手)→ホップ入りビールの伝播→定着まで2,300年を要す

 

1393

 

 

エール棒の長さ7フィートに規制される(パ58

1397
1393?
(
看・パ)

 

 

リチャード2世、旅宿に看板を掲げることを定める→パブ・サインの始まり(コ15

14C

 

酒類検査官誕生(皮のズボンによる検査)〜1973年まで続く(手)

 

14C

 

イギリス産のエールが「ビール」と呼ばれるようになった(手)

 

15C

 

ホップ、オランダ・ベルギーからの移民により伝播(玉)

同時期、ヘンリー8世がビール醸造にホップを禁ずる

 

1406

 

エール醸造組合設立 1473年にはヘンリー6世により、すべての管理権が付与(手)

 

1493年 

 

ビール醸造者がギルド(職人組合)として認められる

 

1524

 

ホップ栽培開始(手)

 

16C後半

エリザベス女王のもと、第1の黄金時代

 

1564年頃四輪馬車が誕生、国内旅行盛んに→インの発達(社107

1620

 

ピルグルム・ファザーズ、ビールがなくなったので、プリマスに寄港

 

1635

 

 

アイルランドでパブのライセンス制開始(ダブリン最古のパブBrazen Headのパンフより)

1642

ピューリタン革命

 

インやエールハウスが活動拠点となった(社158

1645

 

ホップ入りのエールにも課税(手)→国家歳入の半分がビールによるもの

 

1649

名誉革命

 

 

1650

 

 

オックスフォードに初のコーヒーハウス誕生、その後激増する→17C末には3000軒(コ50)→雑誌、新聞が置かれ、ジャーナリズムの発展に貢献→18Cには衰退

1665

ペスト流行

 

感染を恐れ、パブ、コーヒーハウスへの出入り減少、行政当局も営業時間を短縮(コ55

1666

ロンドン大火

 歴史あるパブが消失

 ペスト菌が死に、街復興のきっかけ

1680

 

酵母(イースト)がオランダの科学者により発見される(C

 

1688

 

 

Public house」という語が文献上に最初に現れる(ア)

1689

 

海外からの蒸留酒の輸入禁止(国内のジン醸造を奨励)(社90

17C末、オランダからジンが伝えられ、ロンドン・ジン誕生(社88)ウィリアム3世とメアリー女王がオランダからきたときにジンがもたらされた(酒84

17C中旬

 

 

定期的な駅馬車が発達することで、道路の整備が進められた(コ46

18C前半

 

ビールが高価なため、ジンが流行→人々の堕落
1720
年後半には凶悪犯罪が急増、衛生事情の悪さもあり、出生者2に対し、死者3という割合)(社91

上流階級は私的な場ではビール、公的な場ではシェリーやブランデー、ポルトなどの強い酒を飲んだ

1722

 

ポーターが作られ始める

 

1751

 

ジン規制法により、ジンへの酒税とライセンス料の制定→ジンブームの終焉(社92

 

1759

 

アーサーギネス、ダブリンでギネスビール醸造開始

 

1760年代

産業革命

 

 

18C19C

 

 

労働者はブラウンエールを引っかけて仕事に出た(社75

18C中期

 

ビール業界発展、バス社など大手ビール業者誕生(手)→海外にも輸出し始める

ビール会社によるタイドシステム流行(世)(18C19C

Whitbread社の特約店は1746年:13軒、1780年:24軒、1800年:80軒。

18C後半

 

 

限られた人々のための集まり、クラブ誕生→19C全盛(コ81

18C

 

 

労働組合がパブで開催される(社156

18C

 

 

サミュエル・ジョンソン氏、パブを礼賛(コ69

1800

 

インディアペールエール(IPA)植民地の軍隊のために醸造開始

 

1801

アイルランド併合

 

 

182030年代

 

ビールとジンの消費量急増
(産業革命による労働者のストレスの発散)(社180

酒びたりとケンカが横行、酒場の階層によりジンショップがジンパレスに(伝70

1830

 

ウェリントンのビール条例(酒98)ビールへの課税廃止(原料にのみ課税)(手)=ビール酒場法(ビールへの販売規制緩和も)(玉)(社65)同年、禁酒協会設立(ヴィクトリア女王が後援会長)→全国でデモ運動

→ビアハウスの林立

イングランドとウェールズで5万→8万件に増えたといわれている。(酒98

1830

イギリス初の鉄道

 

こののち、それまで全盛だった「イン」の衰退

1837年〜1901

ヴィクトリア朝「大英帝国」の誕生

 

上流階級はクラブに→それぞれパブの機能に変わるが専門施設が誕生(社166
アフタヌーン・ティー誕生

1830年代

 

再びジンブーム(コ91

ヴィクトリアン・パブジン・パレス)の誕生

1839

 

16歳以下アルコール販売禁止(ただしビールは例外)(ロ)同年、ビール醸造が免許制に

 

1842

 

チェコのピルゼンでラガータイプのビール醸造開始(C

 

1847

 

ビール醸造で砂糖の使用が合法に(手)

 

1859

 

 

この年発行の俗語時点に「Pub」は「Public」および「PublicHouse」の略であると定義(『オックスフォード英語大辞典』より)(パ47

1860年代

 

 

「パブは1860年代をピークとして衰退し、モダンなカフェやバーが増えてくる」+建物が改築されるごとに、古くから街角にあったパブが壊された(酒198

1862

 

ホップの課税解除

 

1865

 

 

Pub」という語が使われるようになる(看)(社54

1873年〜1896

世界不況のあおりで、経済不況(コ100

 

 

1886

 

13歳以下ビール禁止(ロ)

 

1880年代

 

 

ロンドンでホテル・レストランができ、タヴァーンは衰退→女性の外出(酒186

19C

 

 

 

原料に砂糖を使い始めるこのころ、ビール醸造所(修道院)各地に設立(手)

このころエールハウスのビール、醸造所から取り寄せ始める(それまでは自家醸造)(手)

19C後半

 

嫌酒運動高まる(玉)

→1901年〜13年にかけて28000軒を超すパブが閉店(パ185

          

1880

 

麦芽の課税解除→1188年以降初めて自家醸造が課税の対象から外れる

 

1880年代

 

冷蔵庫が一般化→一年中醸造されるようになった

 

1915年 

 1914年〜1919第一次世界大戦

酒類の販売に時間制限を求める最初の法律→現行の営業時間はこれに基づいている(玉)

※第一次世界大戦中はパブ・ビール産業は衰退した。

1920年代

 

 

パブが復活。地下鉄の普及もあって、パブに女性が行くようになった。(酒196

1941

1941年〜1945第二次世界大戦

 

※第2次世界大戦中は、兵士にはビールを飲ませることが推奨され、ビールの需要が伸びた。ロンドン大空襲時はパブの地下室は防空壕の役割を果たした。(パ210

1943

 

 

ジョージ・オーウェルパブの衰退を嘆く(コ105

1948

北アイルランドを除くアイルランド、イギリス連邦から脱退

 

 

1971

 

エールビール衰退に歯止めをかけるべく、消費者団体・リアルエール愛好会(CAMRA)発足

 

 

 

1972

 

この年、6大ビール会社(ビッグ・シックス=Whitbread, Scottish and Newcastle, Bass Charrington, Allied Breweries, Courage Imperial ,Watneys.)が73%のシェアを持ち、系列パブの73%を所有していた。ただちに

 

1980年代

 

 

「多くのパブでは、この頃まで瓶詰めのラガーが室温で給されていた」(パ224

 

1987

 

 

パブの周辺の騒動が社会問題に(パ224

1988

 

 

パブの営業時間11:002300

1989

 

ラガーの消費量がビターの消費量を上回る(パ222

 

1992

ビール令2000軒以上所有のパブを所有している醸造業者に規制

 

 

1995

 

 

 

さらなる営業時間の規制緩和。日曜日の午後にも営業が許可。サンデーランチの流行ファミリー・パブの誕生。指定パブなら、14歳以下でも大人の同伴者となら夜9時までいてもOKとなる

2001

 

 

パブの営業時間の延長開始。(その前の1999年の大晦日から2000年の元旦にかけて試験的に延長開始)

2007

 

 

2004年のアイルランド、2006年のスコットランドに続き、この年イングランド、ウェールズ、北アイルランドのパブも店内禁煙となる。

参考文献と略称■ (それぞれの本についてはここでも紹介)

手=『手造りビール事始』(平出龍太郎・雄鶏社)
世=『ビール世界史紀行』(村上満・東洋経済新報社)
ロ=『ロンドン・パブ物語』(石原孝哉・市川仁・丸善ライブラリー)
社=『パブ・大英帝国の社交場』(小林章夫・講談社)
コ=『ロンドン都市物語〜パブとコーヒーハウス』(小林章夫・河出書房新社)
看= 『イギリス パブの看板物語』(森護・千房雅美・NHK出版)
C=CAMRAの資料「About Beer
ア=『アイルランド・パブ紀行』(田島久雄・東京書籍)

伝=『麦酒伝来〜森鴎外とドイツビール〜』(村上満・創元社)
=『パブとビールのイギリス』(飯田操・平凡社)
酒=『酒場の文化史』(海野弘・サントリー博物館文庫)