カスクコンディションとは 
 世界中のたいていの物が、日本で飲み食いできる現代でも、日本では絶対飲めないビールがある.そのビールは、われわれ外国人が味わおうと思ったら、飛行機代を払って英国に行き、パブの敷居をまたがないとありつけない。これは決して誇張ではない。世界の輸入ビールが日本で当たり前に飲めるようになっている今日でさえ、日本中の、いや世界中のどこの国を探しても、「その」ビールは飲めない。「カスク・コンデションのもとにサーブされたイギリス産のエール・ビール」だ。 
■カスク・コンデションとは■
 イギリス独特の「カスクコンディションCask Condition」(樽内熟成)という方法について説明しよう。
 工場で醸造されたビールは、酵母をろ過したり殺菌処理をされることなく、酵母とプライミングシュガーとアイシングラス(チョウザメの浮き袋)が加えられたあと、そのままパブに出荷される。「ビター」の場合は、ドライホッピングとしてホップも一緒に加えられる。パブでさらに発酵が促進され、空気を通さないハードペグから空気をある程度通すソフトペグヘ、そして再びハードペグへとカスクの線が取り替えられていく.7日から10日のちにセラーマンCellerman(ビールの熟成度合いを見る専門職で、パブリカンが兼ねることもある)が、飲み頃かどうかを判断し、「明日が一番うまい」となった日の夜で、ポンプにつなげられ、翌日から客の口に入る、というわけだ。ポンプは、昔の日本の井戸の手押しポンプと同じ方式で、減圧によってカウンターに押し出されるという仕組みだ。ちなみに、カウンターに「汲み上げる」ことをドラフトDraftといい、ドラフトビールの名称はここから生まれた。
 カスクビールは、24時間以内に消費し終えないと味が落ちて酸っぱくなる。よほど売れる銘柄のビールでないと、売れ残った場合はもう店頭には出せないのだ。たまに早すぎたり遅すぎたりするカスクビールを出すパブがある。そういうセラーマンとしての技量がないパブは、悪評が広まり、廃れていく。


▲発行を促進したいときは、空気を通す
「ソフトペグ」を入れる。
木でできているため、酵母の発酵に
必要な酸素を適度に通す。
発行が進むと、写真のように泡が
吹き出す。
▲カスクは以前は木製だったが、現在は金属製。真ん中のぺグPeg=栓を
通気性のあるものと無いものを交換していくことで、発酵を調整する。
セラーではぺグの部分を上にして、横倒しに置かれる

発酵を止めたいときは、プラスティック製の
「ハードペグ」に変える。
 ボトルに入れる場合は、炭酸ガスを加え、保存性を良くするため、アルコール度数も若干上げる。だからボトルに入った輸入のエールビールは、本場のものとは明らかに違うのだ。
 イギリス以外で、この方式でビールを飲む国もあるにはある。ベルギーの「ランビック」は樽からジャーに移し、そこからグラスに注いで飲ませているし、ドイツのクナイペ(居酒屋)ではケルシュやアルトなどの上面発酵ビールを昔も今も木の樽から注いで飲ませている。ただ、イギリスのように、9割方の店にハンドポンプがあり、カスク・コンディションのリアルエールが必ず置いてある国は、他にはない。このカスク・コンディションは古来からイギリスではぐくまれてきた独特のビールを楽しむ方法なのである。
 このように、エール・ビールをカスク・コンディションのもとに飲める場所、といったら、イギリスのパブに行くのが一番手っ取り早いのだ。実にイギリスのエールビールの80%が、パブ内で消費される。
■ケグビアの誕生■

 ちなみに、このカスク・コンデションとボトルとの中間に位置するのが、ケグKeg方式と呼ばれるものだ。フィルターでろ過し、酵母などの不要な老廃物を取り除き、殺菌処理をしたビールが、樽に詰められる。言語的には、カスクCaskが大樽、ケグKegが小樽を意味しているが、1950年代の終わりからケグド・ビアは特別な意味を持つようになった。当時、バス社を始めとするイギリスの大手メーカーがタイドハウスの数を各地に増やすために取り扱いがラクで日持ちがするようにフィルターでろ過し熱処理をしたビールをステンレスの小樽に入れてパブに運んだ。これをケグ・ビアとかケグ・エールと呼んだわけだ。CAMRAの項でも触れたが、カスクコンデションのビールを指す「リアル・エールReal Ale」という言葉はこのケグ・エールに対抗すべく、CAMRAが1971年に使い始めた言葉で、CAMRAはケグ・エールを化学的なビールChemical Beerと呼んで嫌っている。アメリカや日本でもケグビアの方式でビールが飲まれていたが、この言葉で区別されたのは、1950年の終わり以降のことだ。
 小樽に詰められたケグ・ビアは、カスクコンディションのビールと同じようにパブではセラーに保存されるのだが、注入のときに炭酸ガスと窒素ガスの混合ガスが
37の割合で混入される。ガスの圧力でカウンターまで押し出されると同時に、ビール内にもそれが溶け出し、独特のクリーミーな泡になる。あのギネス・ビールはこの方法でしか飲まれていない。
 リアル・エールに比べ、冷やして飲むのが通常で、ラガーのような喉ごしのよさとエールビールの味わいを持っているため、最近人気を集めている。
  ちなみにCAMRAによると、ケグビールはアメリカで生まれたとされている。イギリスでは1936年にサリー州のワットニーWatneyというビール会社が作り始めたらしい。それとは別の工場で、アメリカの駐在軍が、泡の少ないカスク・ビールを嫌い、祖国のものに近い、もっと泡立ちのよいビールを、工場に命じて作らせたという話も残っている。1959年にはたった1%のシェアだったが、1976年には63%にまで上がり、現在ではカスクビアを大きく上回り、主流の流通形態となっている。 
 このケグタイプのエールビールは、ギネスを始めとして、日本でも飲むことができる。日本のパブにある、ドラフトタイプのバス・ペール・エールとかマーフィーズなどは、すべてケグタイプだ。だからあれだけ泡がクリーミーなのだ。
 ところがカスクタイプとなると、日本ではこの方式でビールが飲める場所はない。つまり、
現地に行って、パブのカウンターの前までいかないと、飲めない。冒頭の、「イギリスでしか飲めないビール」の意味がお分かりいただけただろうか。

ケグ・ビアとカスクコンディション

▲ケグビアは、ろ過・殺菌されたビールに
二酸化炭素7、窒素3のガスが加えられる。
カウンターでは、電気スイッチ式の金属製
のサーバーを使うことが多い.
▲カスク・コンデションは、発酵が続いている
状態で、そのまま何も混ぜずにサーブする。
カウンターの長いポンプで、井戸水のように
くみ上げるわけだ.
■リアルエールのサーブ方法■ (2006/10/22追加)
 上記のカスク・コンディションのエール(=リアルエールと呼ばれる)が、客にサーブされる方法は、現在では、大きく次の3つの方法がある。
@ハンドポンプ
上の図のように、カウンターに、井戸水のようにくみ上げるポンプがあり、セラーから、ビニールパイプを通って、エールが上っていく。ハンドポンプのパイプの途中にエールが残るので、洗浄に気を使ったり、その日の最初のエールは、パイプにたまったエールを出すなどのケアが必要。良心的な店はそれらを遂行しているが、そうでない店は・・・。ついでに言うと、ポンプには、グラスに注ぎきれなかったエールを受ける皿があるのだが、愚劣な店は、その残りエールを再びサーブするというウワサ・・・。
地下にセラーが必要だが、カウンター周りのスペースは広く取れる。英国での最もポピュラーなサーブ方法で、9割以上のリアルエールがこの方式でサーブされていると思う。
Aグラビティ


Gravity=重力 という名前のとおり、樽に差し込んだコックをひねって、そのままグラスやピッチャーに注ぐ方式。パイプを通さない分、雑味や細菌がつく心配もないので、「リアルエールを最もおいしく飲む方法」と呼ばれる。ただ、@はセラーを11度前後に保つことで、エールの温度管理をしているが、この方式だと、冷却カバーをかけて温度調整をしなくてはならない。写真のように、寒冷地だとカバーの必要がない場合もあるが。カウンター周りの場所がとられたり、冷却カバーのコストがかかったり、地下などの倉庫から在庫を運んだりするので、切れたときの入れ替えが大変などの点があるが、こだわりのオーナーなら苦にしない。この方法を取っているパブはあまり見かけないので、入ったパブがこの方式なら相当にラッキーだ。
Bトールフォント

主にスコットランドで見られるサーブ方式。カウンターにポンプがあるのは@と変わらないのだが、写真下のように、地下のセラーにエアーコンプレッサーがあり、上のポンプのレバーをひねると、その空気圧によってエールが押し上げられる。実は、この方式をとるメリットがよくわからないのだが、@に比べ、サーブにほとんど力が要らないことくらいか。写真上のように女性でもラクラク。@だとよっこらせ、っという感じで、女性バーメイドは苦労している。
あとは、つねにパイプ内が空気(二酸化炭素?)で満たされるので、樽にエールが戻ったり、パイプにエールが残ることが少ない? CAMRAの副会長は、「ハンドポンプに比べて高い位置でエールをサーブするので、客に対してアピールになるからさ」と言っていたが、果たして? スコットランド人が、イングランド人の真似をしたくないからこうしているだけなのかも?

■リアルエールの魅力■
 カスク・コンデションのエール・ビールの魅力は何か。なんといっても発酵が続いている「生きた」ビールであるがゆえ、苦味や甘味などのフレーバーが効いている。余計な泡がない分、ビールそのもののホップやモルトの匂いを感じることができる。
 イギリスのパブでエールを注文したら、ケグタイプのビールの独特のクリーミーな泡にめぐり合った、という人も多いだろう。あれは醸造過程ではなく、飲む段階で注入されたものなのだ。僕も最初にあれに出会ったときは、感激したのだが、泡があまりないかわりに、ビールそのものの香りが楽しめるカスクのビールの存在を知ってからは、ケグタイプのビールを敬遠するようになった。「正しいパブ道の極め方」の項を見て、間違えずにカスク・コンディションのビールにありついてほしい。
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