英米からリアルエール文化を
直輸入

(ヤッホーブルーイング最高執行責任者・石井敏之さん)




現在、日本のいわゆる「地ビールメーカー」のエールの中で、最も品質が安定し、もっとも流通してかつ廉価、つまり最もポピュラーなものは「よなよなエール」だろう。これにはリアルエール版があり、エール業界だけでなく「リアルエール」業界の先駆者にもなっている。もしリアルエールが日本で市民権を得たとしたら、その開拓者として間違いなくこの人は5本の指に入る。


歴史的イベントでの出会い

 石井さんと初めて出会ったのは、忘れもしない2003年3月の「第1回東京リアルエールフェスティバル」。グッドビアクラブの設立にもつながった、エールファンにとって歴史的なイベントだ。日本でいちばんの地ビールの種類が揃う両国ポパイの店主、青木辰夫さん、アメリカのビール事情を中心に、ビール全般に詳しく、後のグッドビアクラブの会長となった藤浦一理さん、そして石井さんが、「そろそろこのリアルエールをもっと広めたい。ほかのブルワリーにも作ってもらって、イベントをやり、知ってもらったほうがいいのでは」と発案した、歴史的イベントだ。リアルエールを求める原子たちが出会い、最初の核爆発を起こしたその日に、僕はその会場で主催者の石井敏之さんに出会った。
「今日出ているエールは、実は全部が全部ちゃんとしたリアルエールじゃないんだ。ケグビアのガスを抜いただけのシロモノもある。だけど、間違いなく、このイベントがすべての出発点になるはず」
 自信満々にそう語る石井さんは、聞くと、もともとはアメリカのブルワリーでブルワーとしてスタートし、イギリスのブルワリーでリアルエールの醸造技術を学んできたばかりだという。
 僕は、そのイベントに行くまでは、「リアルエールが日本で飲める」ことに正直言って半信半疑だった。リアルエールの輸入が無理となると、残る可能性としては日本で醸造することだが、こんな技術、おいそれと学べるものではない。しかし、僕が会場で飲んだエール「よなよなリアルエール」は、間違いなく、香りといい自然な泡の中に溶け込む原料の旨みといい、イギリスで慣れ親しんだリアルエールの「食感」そのものだった。ただホップはアメリカ産の「カスケードホップ」を使っているため、香りはイギリスのそれよりも強かったが。
 石井さんとは、イベントの後も、何度か東京で会い、リアルエールの未来について語り合った。
「これから、いろんなブルワーに、この技術を教えていく。まず作り手たちに、リアルエールを理解してもらいたい。これから日本でも始まるよ、リアルエールの時代が。白井君、しっかりサポートしてくれ」
 不可能だと思っていたことを、やり遂げようとしている人がいる。石井さんの話を聞いていると、日本のビール界は明るい、と勇気がわいてくる。

マイケルジャクソン曰く「ひどい設備」

 その後、2006年3月、ようやく石井さんが最高執行責任者を務める『ヤッホーブリューイング』を訪れる機会を得た。
 長野県佐久市、佐久インターから車で10分ほどの「小田井工業団地」内に、そのガラス張りのきれいな工場はあった。
 


 最初に案内してもらったのは、マッシングするタンク。「創業当時、アメリカ人のコンサルタントがここの醸造設備をそろえたんだけど、その人が、業界では知られた、頼りにならない知識不足の人だったらしい。マイケルジャクソンもその人の存在を知っているほど。この機械(ブルーハウスから醗酵及び熟成タンクすべて)はドイツ製なんだけど、ラガーには向いているが、エールにはどうも不便なんだよね」
 次の部屋に通されると、そこは、二次発酵させるビールを寝かしておくタンク。最新のタンクは、二次発酵とその後の熟成工程まで、同じタンクでできるのだが、ここにあるのは、熟成工程のために次のタンクに移さなければならない旧式タイプ。マイケルジャクソンはこのタンクを見て、「おまえ、よくこんな逆境の設備であのようなエールを創れるな!」と首を左右に振り、「これを見れば、ここの設備のすべてとお前のエールにこだわる姿勢と技術力がもうわかったよ」と見学を打ち切ったという。
 決してリアルエール醸造にはベストと言えない設備の中で、日本のリアルエール界を牽引するビールを作れているのは、どうしてなんだろう。石井さんに、改めて、今までの詳しいいきさつを聞いた。




過去のレシピを捨て一からスタート

 大学は法学部を卒業し、不動産関係の仕事をしようと渡米。だが、方向転換し、サンディエゴのマイクロブリュワリーで働き始め、「仲間と協力して」現地Brewers Guildのメンバーとして当地の第1回リアルエールフェスティバルを主催した。
 2001年に帰国し、5月にここ「ヤッホーブルーイング」に入社。同社は、まさに地ビール元年組、96年に開業した、日本の地ビール業者としては草分け的存在だ。『軽井沢高原ビール』に続いて『よなよなエール』というフラッグシップを持っていたものの、品質が安定せず、クレームも多々続いた。
「まず、過去のレシピを捨て、原料選びから見直したんだ」
 石井さんは、顧客のクレームをすべてチェックし、そのニーズに答えるべくレシピを改良。『よなよなエール』はもともとアメリカのシェラネバダというアメリカンペールエールのコピー商品として開発されたが、その元の味にこだわりすぎず、「日本人の好みに合う味」というテーマを最も重視したという。
 基本的なレシピ構成は、アメリカ人師匠に教えられたとおり、「Simple is best!」。
モルトはベースのPale Al eモルトと3−4種類のSpecialityモルトのみ。ホップはBitteringもAromaもそれぞれ1種類ずつ。それぞれの個性がわかりやすくダイレクトに伝えられる。しかし完成度が高くなければ、バランスは崩れる非常に難しいレシピ構成だ。   さらなる根本的な改良点は、実はここにあるのだが、YeastをRe-useしていくこと。一度発行させるごとに捨てるのではなく、最低でも15世代は使用していくそうだ。これにより発酵の具合が毎回同じとなり、品質を安定させ、均一性を確保できた。そして何よりコピー商品を造るのではなく、現在の日本マーケットに向けたPale Aleを創ること、そこにBrewerとしてのメッセージと魂を込めること。

リアルエールの真髄を学びにイギリスへ

「バッチごとに違うレシピを作るのではなく、信念を持って、レシピを買えずに何度もファンに問いかけたよ。答えが出てくるのに時間(実際1年かかった)がかかるけれど、不思議と自信はあったね。アメリカでやってきたことを日本人に向けただけだから。」
 石井さんの思惑通り、レシピ変更スタート1年後には、顧客からのクレームはほとんどなくなったという。「これでいける」と判断した2003年の1月からレシピを変えていないそうだ。
 やがて、親会社の「星野リゾート」の敷地内に、パブ兼レストランを作る企画が持ち上がった。目玉になるビールが欲しいとなり、以前いちばんおいしいビールは何なのか話し合った結果、共通した答えは「熟成タンクに入っている、ろ過する前のビール」だった。
――それって、まさにリアルエールのことじゃないか。石井さんの頭の中で、サンディエゴでのリアルエールフェスティバルの光景が蘇った。カリフォルニア各地のリアルエールが一同に会し、個性を競い合う。アメリカで作られ始めてから年数は浅いけれども、どのビールがおいしいかは、消費者がいちばんよく知っていて、大盛況に終わったフェスティバル。石井さん自身も、リアルエールに始めて出会ったそのとき、「これがビールなの?」とその奥深い味を味わうために何度も口に含んだという。しかも個性的なリアルエールばかりで、いかにもアメリカらしい、これこそがエールの醍醐味なんだと。
「リアルエールっていう方法で、消費者に訴えてみよう」ブルワーたちにそう提案し、設備を整え、作り始めた。だが、アメリカだけでの経験では足りないと感じ、前任の醸造所長の発案でイギリスへ行って学んでこようと決意。
 だが、イギリスにはつてはいない。頼りにしていたアメリカルートからも良い返事をもらえず、自ら当たって砕けるしかないと、事前に、リアルエールを作っている醸造所50社ほどに「リアルエールのノウハウを教えてほしい」旨のメールをした。返信があったのは約半分で、そのうち15社は「企業秘密だから教えられない」。受け入れてくれた数社を訪問するスケジュールを組み終わると、出発まで3日という段階で、とあるブルワリーから連絡があった。
「うちにリアルエール界のオーソリティーがいる。ほかのブルワリーは後回しにして、最初にうちに来なさい。君にすべてを教えられるのは、彼しかいない。」
 予定を組みなおし、そこに真っ先に行くことにした。
「向こうに着いたとたんに、その人は『すべてを教える』と言ってくれた。その言葉どおり、原料選びから、モルト粉砕の割合、エールの歴史、イギリス的考え方から自身の経験を交え、セラーでの扱い方、サービングの仕方まで、本人の研究論文や資料までくれて、本当にすべてを教えてくれた。そして魂を受継いだ。今でもその『イギリスの師匠』とは連絡を取り合っているよ」
 イギリスのブリュワリーでは、レシピを門外不出としているところも多い。だから、そんなブリュワーに出会えたのは、本当にラッキーだと僕も思う。50社もメールを送った努力があってこそだ。世界的にリアルエールが廃れてきていることもあって、そのブリュワリーでは、日本からの珍客に未来を託そうとしたのかもしれない。

セラーマンがいない日本でリアルエールを出荷するには

 帰国後、石井さんは早速「よなよなリアルエール」を醸造。清澄度を保つため、最初に麦汁を煮沸させるときにモス(海藻の一種:カラギーナン)を入れる。これが麦汁中のアミノ酸(プロテイン)を静電気の働きで付着、除去し、発酵後の沈殿物の原因となる物質を取り除いてくれるのだ。
 一次発酵までの原料、工程は通常の「よなよなエール」と同じだが、その後の二次発酵の段階から異なる。通常のエールは、さらに香りをつけるためのホップを投入したりして、さらに熟成を重ね、最後は、発酵し終えた酵母や雑味をろ過して取り除く。店でサーブするときには、二酸化炭素とともにカウンターに押し上げるので、飲むビールには、人工の泡も含まれていることになる。
 一方、リアルエールは、ホップを入れて香りをつけるところまでは一緒だが、さらに清澄剤を入れる。アイシングラスと呼ばれるチョウザメの浮き袋が使われることが多いのだが、これをビールに投入すると、ビール中に浮遊している余分な酵母やホップの残りカスなど、ビールの雑味の原因となるようなものを吸着して沈殿させてくれる。リアルエールが、ろ過していないのに澄んでいるのはそういう理由なのだ。本場のイギリスでは、さらに発酵を促進させるための糖分や酵母を加えることもある。
 本来は、このように、発酵が続いた状態でパブに出荷され、パブにいるセラーマン(エール品質管理者)により、空気を通すソフトペグ(栓)や、通さないハードペグを使用して、いちばんおいしい状態まで待たれる。パブの地下で寝るということは、ビール中に浮遊している酵母や老廃物が樽の底に沈殿するという意味もある。
「でも、日本だと、いないでしょ、そんなセラーマン」
 リアルエールをおいしい状態で飲んでほしいと考えた石井さんは、2次発酵最終寸前で「飲み頃」となるまでをブリュワリーで間違いなく管理し、そこで樽に移し出荷するという方法をとることにした。
「本来的なリアルエールじゃないけど、今の日本ではこれがいちばん現実的な話」

企業秘密どころか他社にもノウハウを広める

 石井さんの超人的なところは、このリアルエールを、変に専売特許のように売るのではなく、リアルエールという文化ごと広めようとしていることだ。ギネスビールだけでなく、アイリッシュパブという文化ごと輸出して、結果ギネスビールを世界中のパブの定番にしたギネス社のやり方にも共通していると言える。
 自社でリアルエールを作るだけでなく、他社にも教えていく。「ヤッホーブリューイング」の会議で、そう話したときは、関係者全員から猛反対を受けたという。これは、まがりなりにもわが社の生き残りをかけた商品だ。何も、他社に教えることまではしなくてはいいのではないか。
「しかし、それだと、販路は限られますよ」
 いくらうまいビールでも、認知されないと、受け入れられない。まずリアルエールそのものを知ってもらうことが、遠回りではあるが、ヤッホーの利益にもつながる。そう説得するまでに、さらに数ヶ月の時間を要したと石井さんは言う。
 たとえばアメリカのマイクロブリュワリー業界は、互いにネットワークで教えあって、業界を作っていく。Brewerも日本よりはるかに多く、Breweryを渡り歩くことは決して珍しいことではない。ヨーロッパから来る者もいる。それぞれの技術が新たな技術に触れ強固なものになっていく。初めからアメリカでプロのブルワーとして育てられ日本に帰国した人はまずいない。日本のエール業界は、それまで指導者不在だったと言える。
 石井さんが、イギリスで学んだリアルエール修行の成果を伝えることを告げると、教えて欲しいと来たブルワーはのべ20社くらいにのぼるという。
 アメリカでも、リアルエールが浸透するのに約10年以上かかったそうだ。異文化をあれだけ受け入れるのが早いアメリカでもそうなのだから、日本でこれが普通の居酒屋においてあるくらい定着するのには、数10年という時間を要するだろう。それが20年なのか、100年なのか、今のところ、まだ分からない。しかし、もしそういう日が来たとしたら、この人なしには成しえなかったことだ。




(2006/3/24取材)
 

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