新連載!
なぜ日本のビールの色は薄いのか?
日本では、100種類以上あるスタイルの中、1スタイルのビールで大手メーカーがしのぎを削っています。日本に最初に製品としてのビールが入ってきたのは開国時の横浜でした。そのとき日本人が口にしたのはおそらくIPA、そして初めて輸入されたビールはバスペールエール、初めてのビール工場ではエールが作られていました。なのに、エールブームはたった20年足らずで廃れ、ドイツ風のラガータイプに取って代わり、今日にいたっています。もし、エールがそのまま作られ続けていたら、今頃、居酒屋の「とりあえずビール」はペールエールあたりだったかも知れません。
日本人がエールという文化を、早々に捨ててしまったのはなぜか。英国から帰国して以来、ずっと抱き続けていた疑問に切り込みます。
■内容予定■ ※順序変更の可能性あり
1 エールとラガーのあいだ(6月)
世界最古のビールを造ったのはシュメール人といわれているが、そもそもエールタイプだったはず。19世紀までは、世界ではエールが主流だった。ラガーが誕生し、消費量は逆転しても、エールが確実に根付いている国もある。どの国が、なぜエールで、どの国が、どうしてラガーのみなのか、ビールの世界地図に挑みたい。
2 ビール初めて物語(7・8月)
ペリーがビールをもたらせてから、工業製品として一人歩きしてしまうまでの、日本のビールの歴史のゆりかごから墓場(?)までを検証。なぜラガービールが生き残っていったのかを明らかにしていく。
日本人が初めて飲んだビールの味
最初のビール工場ではエールが作られた
束の間のエールブーム
ドイツブームになるまで
戦争とビールの密接な関係
酒税との仁義なき戦い
業界地図のめまぐるしさ
3 ビアルネッサンス・イン・ジャパン(9・10月)
1995年の規制緩和によって、一時活性化した日本の地ビール業界。やがて、村おこしのためだけに無理やり興したようなビール工場は淘汰され、現存する工場たちは、みな技術者を海外から入れるなどして、本格的に取り組んでいる。日本のビアルネッサンスとでも言うべき現象を浮き彫りにし、日本のビール史の未来は暗くないことを示したい。大手メーカーの新しい試みにも触れる。発祥の地でビール醸造をする意味(横浜ビール・榊弘太氏)
英米からリアルエールを直輸入(長野ヤッホーブルーイング・石井敏之氏)
ほか約7箇所掲載予定