発祥の地・横浜で
ビール醸造に関わる意味
(横浜ビール株式会社 醸造長 榊弘太さん)
ビール職人の聖地・横浜
横浜ビールでは、独特の新人研修がある。横浜・山手の外人墓地のコープランド氏のお墓にあいさつし、その後、彼が始めた日本初のブリュワリーであるジャパン・ブリュワリー跡地に建つ記念碑を見るというものだ。
「ここは、われわれビール職人にとっての、聖地ですから」記念碑の前に立った榊さんはそう言った。そもそも横浜自体が、ビール作りの発祥の地である。榊さんはこの地でビール作りに携わっていることに、並々ならぬ使命感を持っている。
外人墓地にあるコープランドの墓
榊さんは1971年、東京、品川に生まれた。もともと図書館司書を目指していたが、ビール好きが高じ、酒販店の営業職に。新宿・歌舞伎町を担当している間、仕事の合い間に知る人ぞ知る、飲食関係の専門図書館である日清食品内「食の図書館」に通い詰めた。営業をサボるためではない。酒類に関する情報を手に入れるためである。ベルギービールの拡売員となったある日、典型的なベルギービールである、トラピストビール「オルヴァル」2ケースを受注するが、店頭で配達員が手を滑らし、一部破損、買い取る羽目になる。この「買い取り」が榊さんの未来を決定付けたといえよう。今でこそこの「オルヴァル」は330mlで600円前後で購入できるが、当時は独自輸入に頼るしかなかった。2ヶ月かけて船便で取り寄せたが、1本1,200円位した。これを2ケース(24本)だから28, 800円、約3万円を自腹で買い取った。これは破損していない瓶は飲まないわけにはいかない。榊さんは、そのあまりのおいしさに「作り手の顔が見えるビール、ってこういうことを言うのかと思いました」。
ビール好きにはたいてい「目覚めの1杯」というものがある。つまりビールの道に入ってしまうきっかけ。これがベルギービールである人はかなりいる。
ベルギーへビール巡礼
4年間勤めた営業職を退職、ベルギーへビール巡礼の旅に出る。カンティヨンなど、主だったブリュワリーを数箇所回り、伝統的なエールを、独自のレシピを守りながら粛々と作っているのを目の当たりにする。
1996年に帰国したときは、第一次地ビールブーム。品川TYハーバーブリュワリーに職人として入り、アメリカン・エールと発泡酒の技術を習得。今度は「王道」を会得したいと、ラガービール作りを学ぶべく、秋田・田沢湖ビールに移る。そして2000年2月に横浜ビールに招かれ、やがて醸造長に。
榊さんが就任後、蜜酒(ミード)やスパイスビール(ジンジャービール)、ペリー伝来のビールの再現他、横浜の郷土酒としてのビール作りを横浜ビールのテーマに設定した。ビールと食事の組み合わせにこだわり、併設のレストランのメニューに、合うビールを載せるなどの工夫をした。
榊さんの活動はビールにとどまらない。「横浜カレーミュージアム」に出店し、「ビール職人風カレー」が2003年の「ハマカレーコンテスト」、一般部門でグランプリを受賞するなどの実績を残す。また市が主催する街づくりプロジェクトにも参画し、明治期からの銀行跡をバーにする計画や、若手アーティストにビールラベルを競わせるコンペを主催するなど、その活動は多彩だ。
「僕から言わせてもらえれば、ビールもカレーも、横浜から発祥した大事なカルチャー。この二つに挑むということはこの地の食文化にダイレクトに貢献する、ということです。この上ないやりがいを感じます」
「横浜」で地ビールに携わる者の使命として、コープランド氏のように「天啓」を受けたのだ。一見すると多岐に渡るかに見えるこれらの活動には、実は「『ヨコハマ文化』を育てたい」という一本の太い大黒柱がある。
榊さんは、数々のビールを復刻している。ぺリーが黒船に積んで持ってきたビール(赤道を3回超えても日持ちがするように、ホップがふんだんに利いたIPAではないか、といわれている)、ビール醸造が開始された当時のレシピなどだ。他にも地元の特産物、浜なしを使用するなど、「ヨコハマ」という地の「歴史を辿る」という側面と「街おこし」をするという側面両方からアプローチしている。
榊さんによれば、横浜に入ってきたカルチャーは、次の3つに分けられるとのこと。
@ 原型をとどめているもの、
A 別のものに零落してしまったもの
B 日本流に消化しきったもの
たとえば、@は「建築物」「教会」、Aは「チーズがプロセスチーズになってしまったことなど」Bは「とんかつ」「牛鍋」「カレーライス」だそうだ。
では、ビールはどうか。ひとりひとり味を楽しむ、いわば、「個人主義のビール」が到来した。だが、日本に根付いたのは、大勢でワイワイ楽しもう、という、「大衆文化」としてのビール。つまり、一見@に見えるが、実はAの様相を呈しているという。
「本当はBにしなきゃいけないんですよね。伝来当時の味を復活することで、新たなヨコハマ文化として根付かせたい。」
榊さんほど、地ビールの「地」というものの、本質的な意味を捉えているブルワーは、そういないのではないだろうか。
(2005年12月取材)
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